だいごのじまん


「大型客船最後の南極クルーズ」 

 
 私は今年1月8日から28日の21日間「南極クルーズ」に参加した。昨年も応募したが1人だと早割で追加料金14万円が加算され69万円となる。相棒を探したが見つからず今年も1人で応募した。大阪のクルーズ専門の旅行社「ウイングロード」は男性添乗員を付けてくれ念願の「南極旅行」が実現した。
 1月8日am10:30大阪伊丹空港を出発した。成田からロサンゼルスに10時間。ビジネスクラスでグッスリ寝られたと喜び、パソコンの入った重い鞄を肩に掛けた時、「あれ!ぎっくり腰?」またやってしまった。ロスからアトランタ4時間、アルゼンチン・ブエノスアイレスに10時間、飛行時間合計25時間で9日am7:50に到着した。税関を通りすぐスーツケースを開けたが痛み止めの薬がない。家に置き忘れ最悪だ!29℃と真夏だがサラッとして暑くない。「エビ―タ」(エバ・ペロン)が演説した大統領府、76%がカトリック教徒の大聖堂、78年W杯で優勝したアルゼンチンのボカサッカー場(7万人収容、マラドーナや高原選手)、タンゴ発祥のボカ地区を訪れた。ダンサーとタンゴポーズでone shot。
 10.9万トンの大型客船スタープリンセスの医師から鎮痛剤を貰った。初診料60ドル、薬は6ドルと安かった。船上で家にメールを送った(8ドル)。南極からメールを送れるとは驚きだ。最初の寄港地フォークランド諸島の博物館に入った。アルゼンチンに侵略された領土をサッチャー英首相は強い決意と軍事力で3ケ月で再び統治回復した。中国やロシアから領土問題で押されている日本、複雑な思いで資料を見て回った。



フォークランド戦争展示室


荒れる海エレファント島


ノイマイヤー氷河

 乗客2490人 (米国860人、英国、カナダに次ぐ日本232人)を乗せた大型客船は南緯55度のホーン岬、ドレーク海峡、南緯60度付近の南極収束線を越える頃少し揺れを感じた。エレファント島を撮影しようと甲板に出ると強風で2.3℃。手摺を持たないと吹き飛ばされそうで、まさに「吠える50度」「叫ぶ60度」であった。
 翌朝、6時半甲板に出ると快晴だ。波穏やかで信じられない。南極半島のブランズフィールド海峡を南下すると氷山、氷河、流氷が見られた。ペンギンが流氷の上に立ち流れていく光景やクジラが悠然と泳ぎ尾ひれを上げた瞬間を撮れた。最大のハイライト、ノイマイヤー海峡では天候に恵まれた。南緯65度、今回最南端のノイマイヤーは日出3時27分、日入23時17分で夜が4時間程、白夜の南極圏は66度だ。朝日が雲間から氷河に差し込む光景や素晴らしいサンセットを撮ることができた。氷河が崩れ落ち、大きな門や田螺、裂けた平板など藝術的な造形物が次々と流れて行く光景は楽しく飽きない。ジャグジーに入り両岸の氷河を背景にガッツポーズする写真を同室の木曽添乗員に撮ってもらった。


大門の流氷


甲板から眺める人たち


流氷を背にTaji ジャグジー

 チリのプンタアレナス(南緯53度)のペンギンコロニー(営巣地)に行った。途中コン ドルが6羽飛びかい、エミューの番が見られた。ペンギンが強風の中列をなして海に向かいヨチヨチ歩く姿は超可愛らしかった。穴の中から出てきたペンギンの雛が親の横で産毛を摘んでいた。ペンギンは春先に卵を産み、秋までに独立するという。1520年にマゼランが発見したマゼラン海峡により大型船が大西洋から太平洋に航行し、この街は大いに栄えた。しかし1914年のパナマ運河航行によりこの街もだんだん静かな街に変わった。マゼランの銅像の前の喫茶店で名物のピスコサワーを飲みながら歴史の流れを噛みしめた。


列をなし海に向かうぺンギン


餌を求めて海に

 船内での夕食が17回ありその内3回がフォーマルウエアーの日だった。和服を着る日本女性もいてシャンペン・ウオーターフォールに参加し記念写真を撮っていた。私は隔日にあるカラオケ大会に毎回参加し英語やフランス語の歌を歌った。愛の讃歌をアカペラで熱唱したらone of the Best Singerと司会者に言われた。その後のダンスパーティでは老若男女深夜まで踊った。また朝食の時はいつも外国人と同席しいろいろ話をした。カナダ人の歌仲間は「妻が2年前日本に行ったが交通機関の表示が日本語で分かりにくく、日本人に聞いても英語が余り出来ないので外人観光客にはしんどい旅だった。しかも物価が高いので余り魅力がない」と。「超円高で日本企業は中国やアジアの国々に進出し新卒者の就職難は深刻だ」と言うと、「ドイツも同じで、賃金の安いポーランドからもっと安い国に。若者は外国人排斥の政党に親近感を持っている」と。今回ソニーのビデオカメラを購入した。中国製である。中国人も同じ製品を持っていたので見るとタイ製であった。アメリカ人のニコンのカメラはベトナム製であった。南北アメリカで最高峰のアコンカグア山(6960m)に2度登頂したアルゼンチンの青年とも話をした。北アメリカNO2のレーニア山(4392m)に登ってみたくなった。香港やマカオの人とは英語で話せたが、中国の福州や重慶の人とは漢字で筆談した。多くの外国人との交流を通して最高で最大の楽しい旅となった。
 船内で「南極の自然と食物連鎖」の講義(日本語)があった。海流がぶつかり合う「南極収束線」(人工衛星から見える)付近ではオキアミが豊富で北極海にいた鯨が南極海まで遠征してくる。温暖化で海水の温度が上がり、オキアミが少なくなり、食物連鎖が崩れ、南極の動植物に影響が出るかもしれない。そこで南極条約に基づき、規制委員会が「大型客船の就航を規制する」と。そのため10.9万トンのスタープリンセスは「来年から就航しない」と言った。我々はラッキーであった。2月末に地下鉄醍醐駅2階の交流広場で開催するtaji写真展のタイトルは「大型客船最後の南極クルーズ」と決めた。


亀裂の入った氷河


美しき落日

 我々は首都サンチャゴの西、世界遺産のバルパライソで下船し、ダンサーや演奏家、給仕など乗組員たちと別れた。ケーブルカーで上がり住宅街を見てゾッとした。脆い高台に住宅が密集、昨年2月の震度8.8の地震で520人の死者を出したが、崖がそのまま崩れ落ちている所があった。チリは日本と同じく地震大国だ。1960年5月チリ南西部で震度9.5と世界最大規模の地震が起き死者1743人を出した。17500km離れた日本にも津波が時速777kmのジェット機並みの速さで22時間後に押し寄せ、三陸沖では6mの津波が記録され142人が亡くなった。チリの高層ビルには日本の耐震性建築技術が導入されていると言うが…。チリ富士(オソルノ山2661m)を見た後、ラマの縫物を売っていた女子学生と話すと「日本は行ってみたいあこがれの国である」と。
 ジャグジーで知り合ったスイスの女性達が春に京都を訪れる。お薦めスポットを昨日もメールで送った。また、お別れパーティでシドニーの家族と知り合った。「娘が日本語を勉強している」と。「なぜ」と聞くと、「7月に京都の高校に交換留学生として行くから」と。この旅行を通しまた楽しみが増えてきた。


チリ富士が見えた


シドニーの家族と


サンチャゴのモアイ




滋賀銀行醍醐支店ロビー、奈良会長と→


 「南極クルーズ」から帰って1週間、インパクトのある写真を24枚選び、キャプションを付けて、2/7(月)から2/17(木)まで、滋賀銀行醍醐支店(地下鉄醍醐駅から南東3分)で、「大型客船 最後の南極クルーズ」と題して写真展を開催しています。 9時〜15時です。(土日祝休み)
 また、今週末の2/19(土)〜26(土)10時〜19時、地下鉄醍醐駅2階のパセオダイゴロー・アトリューム(交流広場)で、六つ切写真50枚に増やして、同じテーマで開催します。
 ご高覧いただければ幸いです。