だいごのじまん


「雪の剱岳登頂と北米No2レーニア登山」

 

 日本百名山全山踏破後、キリマンジャロ、モンブラン、メンヒに登頂。マッターホルンも2度挑戦したが頂上300m下でTime's Up。今年の夏目指すは北米No2のレーニア山(4543m)だ。「英語研修ホームステイ3週間inシアトル」に1986年と90年に引率責任者として参加した時、レーニア山のキャンプ・ミュアー(3072m)まで二度単独で登った。そこから上はガイドを付けないと登れない。地元の登山ガイド協会に「レーニア登山、いつでもOK」と今年申し込みをしたら、「8月28-31日キャンセルがでたので参加可能に」とのメールが5/12に入った。早速、登山歴や医師の診断書等申込書類をメールで送信した。 昨年、参加を検討した日本のアトラストレック社に問い合わせたら、「過去3年間実施し登頂率は60%」と。主な理由は上にヒュッテがなくテントや食料など自前で上げねばならず、リュックは70Lで30kg程の重さに。私のは40Lで15kg程度。「重さ2倍のリュックと登頂率60%」に身が引き締まった。
 訓練にと登山のHPを見ると、東京のツェルマット アルピニスト スクールが「剣岳登頂と源次郎尾根 岩稜講習」を6月18-20日実施と。剣岳には2001.9.22に登頂した。映画「剱岳―点と記」を昨年見たが、剱岳は日本で最も難関な山だ。雪の剣岳は厳しくMt.Rainier の登山訓練としては相応しいと思い申し込んだ。私は「蟹の縦這い、横這い」の少しハードな訓練と思ったが、何と何と。マッターホルンに登る人達の予備訓練であった。ロッククライミングの技術講習は御在所岳のゲレンデで2回受けたが、それ以上の実践講習であった。



室堂出発


雷鳥と立山連峰

 6/18(土) 室堂に桑原ガイドと5人の受講者が集合した。アイゼンを付け雪渓を2時間半歩き剱御前小舎に着いた。宿舎でザイルワークの講習を受けた。夕食後、外に出て家にケータイで電話した。外は霧で6℃。「九州地方は豪雨で東に移動中」と天気予報。


剱岳の朝焼け

 6/19(日) 3:30起床。ガスってる。4:30出発。剱岳は雲が少し掛っているが晴れてよく見えた。ラッキー! 6人がザイルで結び雪渓を2時間程歩くと源次郎尾根の入口に着いた。いきなり岩場を登る。持つ所がない。「お尻を押して」「ザイルを引っ張って」と言うとガイドは「自分の力で登りなさい」と。耐えきれず滑り落ちた。ガイドは「源次郎尾根を調べた?」と。参加すべきではなかったと後悔した。しかし2回目、3回目という若手参加者が励ましてくれた。苦労しながら攀じ登った。雪渓や岩稜をアイゼンを付けたり外したりしながら登っていった。I峰、II峰を登る。疲れて休みたいが休みを取らない。「水分補給」と言ってほんの数分休みを取る。疲れが蓄積していく。まだ5〜6時間しかたっていない。


源次郎尾根を攀じ登る

       

八ツ峰を背に5人

斜度60度の剱岳を直登攀

 ビル8階程もある30mの断崖に来た。

「ザイル投げ断崖蹴って峻の雪」

 マッターホルンを思い出した。最初の人が下りた。私も楽に下りられた。少し行くと剱岳の頂きが見えてきた。よく見ると2人が登っていた。ガイドは「60度程の急斜面のあの峰を登る」と。ピッケルを雪にグサッと差し込み、動かないことを確かめる。アイゼンの前歯を雪に突きさし十分踏み固める。そして一歩一歩と攀じ登る。一人がずり落ちたらザイルで結ばれた皆は共倒れの恐れがある。緊張が続く。下を向き、前の人の靴跡に乗り、慎重に一歩一歩這い上がって行く。先頭の人が「着いたぞ!」と。もう一つ峰を越えねばと思っていたが、もう頂上だ。以前登頂した時に見た「剱岳神社」があった。色あせた「剱岳2999m」の看板もあった。「ヤッター!ついに登頂した」と叫んだ。みんなで一緒に記念写真を撮った。時間は予定の11時が13:30であった。「蟹の縦這い、横這い」ルートで登ってくるご夫婦が1組いた。


9時間後剱岳に登頂

 下りは蟹の横這いコースだ。一度歩いているので気分的に楽だった。鎖を持って横に這いずって行った。鎖場が終りもう楽だろうと思った。しかし雪の剣岳は違っていた。岩稜から雪渓に、また岩稜に。アイゼンを外したり付けたり…。長時間緊張が続き、疲れがたまってくる。喉が渇きお茶は一滴もない。雪を上部を払い何度も食べた。前剱か一服剱の辺りで誰かが「トイレ休憩を」と。私も腰を下ろしリュックを横に置いた。そして何かの拍子に触れたリュックが谷底に落ちて行った。「あっ!」言葉にならなかった。アイガーでケータイが谷底に落ちて行く場面を思い出した。二転三転しながらリバウンドし落ちて行く。

「谷底にリュック飛び跳ね凍て返る」

 帰りのJR切符やお金、クレジットカードが…。息を凝らして見守っていた。止まった! 4-50cm程の大きな岩に当り止まった。誰かが「早く取りに行って」と。瓦礫に足を取られながら慎重に7-80m程下りリュックを掴んだ。よかった! 防寒具、オーバー手袋、めざし帽など登山用品が全部入っている。止まらず谷底に落ちてしまっていたら… 疲れがたまってきた証拠だ。これ以降下りたり登ったりするのに随分時間がかかった。


剣山荘で後向きに下山訓練

剱岳の大夕焼

 剣山荘への下りでは後ろ向きでピッケルを使い十分足場を固めて下りる訓練をした。そしてやっと剣山荘に着いた。湧水があり立て続けに4-5杯飲んだ。

「湧水をいくたび掬ひし剱小屋」

 空っぽの水筒にも一杯入れた。13:00到着予定が17:10。今日の泊りは雷鳥荘だ。少し急がなくては…。しかし私は剱御前小舎に向け登り始めた所で疲れがひどくなり、50歩歩いては止まり、呼吸を整えねばならぬ状態になった。私はガイドに「雷鳥荘までは行けない。剱御前小舎で休みたい。皆さんには先に行って欲しい」と申し出た。皆よりだんだん遅れて行った。夕陽が美しく映えて来た。水を飲みその美しい景色を眺めた。

「天に佇つ雪の剱や大夕焼」

 ガイドも先に行ったので、一人ゆっくり呼吸を整えながら歩いた。そして登り切ったところに剱御前小舎があった。夕陽の沈む19:30の到着であった。冷えてきて雪もザラメの様な状態になった。ガイドは「全員ここに泊る」と告げた。ヘッドライトでまだ2時間も歩いて下るのは危険であると判断した。私は疲労困憊で宿舎に到着。支配人がポカリスエットをくれた。笠岳での蘇生術を思い出した。「ポカリスエット8と水2を混ぜ5分おきに飲む」

 直ぐ後に外人が2人入ってきた。「どこから来た?」と聞くと「アメリカのシアトルから」。Adrianはレーニア山に数回登り、アルゼンチンのアコンカグア(6,960m)にも今年登った。富士山に登り、京都にも行きたいと。「私もこの夏レーニア山に登る。シアトル・タコマ空港から麓のパラダイスまで送ってくれない」とAdrianに頼んだ。OKと。夕食時、皆にビールをプレゼントし、アメリカの山男も輪に入って楽しく懇談した。 (2011.7.8記)