カトマンズ日本語学校のヌルブ校長と |
7年前に、テニスメイトの紹介でカトマンズ日本語学校を訪れ、校長先生とお話をした。今回は日曜日なのでラディソンホテルで、ヌルブ校長先生から「今ネパールや日本語学校が抱えている問題」について2時間程お話を聞くことができた。
1992-95年頃はチャーター便が15機も出て、日本人客が多かった。その後は減少し今では中国人客が急増している。日本語ガイドより中国語ガイドの需要が多い。中国人のホテルやレストランも増え、日本語より中国語を勉強したい学生が増えている。
今、飲み水がない。学校には1週間に1回だけ、2-3時間水が来るだけ。地下水を掘り、タンクで貯める。また、電気がない。計画停電が常態化している。自分の地域は日曜6-13、17-22。12時間電気なし。月曜も5-12、16-21、12時間停電。水曜3-9、12-18と12時間停電というように毎日12時間程停電している。ホテルや工場はディーゼルで自家発電するから喉が痛く、青空が見えない。医師や技師など能力のある人はアメリカに移民できるが、多くの男性は国内では仕事がなく、インターネット情報でシンガポールやマレーシア、アラブ、カタールなど外国に2〜3年出稼ぎに行く。停電がなく、飲み水があれば若者がやる気を出し光が見えるのだが…。次を担う若者がいない。40年前水力発電の計画があったが、反対運動(マウイ派)でつぶれた。政治が安定しない。小党分立で選挙が終わって約4ケ月してやっと内閣ができる状況だ。そんな中で中国の影響力が増している。中国のバス、車が増えている。日本に行こう、日本で勉強しようという学生が少なくなる。生徒数は50人。150時間で卒業単位がとれるようになったので、長期1年以上のコースから、半年の短期コースの学生が増え、アメリカに留学していく。日本語の勉強がむしろ壁になってきて経営が不安定になってきた。日本に20回、京都に7-8回来たヌルブ校長は今の悩みを率直に語ってくれた。
Tiwari 氏をバイクで京都案内(同志社礼拝堂) |
その後、ネパールの著名写真家Tiwari氏と8年ぶりに再会した。「400ccバイクで京都案内」したことをよく覚え写真を持ってきて見せてくれた。最近撮った写真をPCで見せてもらった。素晴らしい写真ばかりだ。「日本で個展を」と出かかったが恐れ多い。愛知博の時はJTBがスポンサーだった。いろいろお話した後、夕食に来ないかと招待してくれた。バイクでパタン地区の有名寺院前のレストランで昼食を食べ、自宅に着いた。3階建ての持家で隣が大使館の高級住宅地である。3階からは真正面に7-8000m級の山々が見渡せる素晴らしいロケーションである。
娘Jasminaにネパール教育制度を聞く |
娘のJasminaさんは会計士になろうと大学で勉強しインターンシップで実地研修している。ネパールの教育制度を聞いたら、3歳〜5歳がElementary Schoolで英語を学習する。ネパールは観光立国だから英語を学ぶことが絶対必要と3歳から(私学)始める。私はThree Yearと言うから小学3年からだと思ったが、ノートに書いてもらったら3歳だった。日本では5年生10歳から英語を学ぶ(公立)。
ヒマラヤ山脈を背にTiwari家族 |
エベレストビールを飲み奥様手製のチベット料理を戴いていたら突如停電になった。この地域は7-12時と21-2時の10時間が停電する。Tiwari氏は直ぐに携帯のソーラー発電器を持ってきた。日本製の発電器かと聞いたら日本製は日立、東芝、サンヨー、三菱などが作っているが、中国製の24倍と高すぎる。バイクも人気のホンダやヤマハ、スズキがあるが8000ドル(80万円)でインド組立の2500ドルに比べ高い。Tiwari氏は「If light,No Problem. If No light,No Problem」と。美しい山並が見渡せるここでの生活を十分楽しんでいた。
停電の中サインするTiwari氏 |
食事後、Tiwari氏にカラパタールで撮ったエベレストのポスターが欲しいと言ったら、20枚も譲ってくれ、ソーラー発電器の下で自筆のサインをしてくれた。半月後の4月18日、シェルパが16人遭難した事故を知り、私はシェルパにお世話になった恩返しに、AMS写真館(京都)で5/16-21開催の田島繁写真展で「シェルパ遺族支援募金」をした。「3,000円以上寄付した人にはネパール著名写真家の自筆サイン入りのポスターを譲ります」と京都新聞の記事に書いてもらったので、88人が15万円も募金してくれた。シェルパ遺族支援に積極的なアルピニスト野口健氏代表の「シェルパ基金」に5/26送金することができた。
京都新聞(5/16)に田島写真展紹介 |
会場で「シェルパ支援募金」の訴え |
野口健代表の「シェルパ基金」に15万円の領収書 |
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