だいごのじまん


世界十名峰登山とエベレスト・カラパタール5545m登頂


モンブラン針峰群に湧き上る雲

 私は2004年8月に焼岳に登頂し日本百名山を全山踏破した。その翌年春、東南アジア最高峰のキナバル山に登った。その時福岡の 人から「田島さんならキリマンジャロとモンブランに登れますよ」と言われた。「ありがとう」と言って2年で登頂した。モンブランに登頂した時、イタリア人ガイドmarcoに「あの尖った山は何?」と聞いたら、「マッターホルンだ」と。「登れるかなあ」と言ったら、「tajiなら登れる。乗せてあげる」と。マッターホルンに挑戦したが頂上まで300mの「肩」で「Time‘s UP」と。二度目は天候悪く断念。三度目 は?? 1986年と90年に「英語研修ホームステイ3週間in USA」でシアトルにリーダーとして派遣された。レーニア山に登り、ガイドなしでキャンプミュアー3100mまで二回登った。


レーニア山の大きなクレバス

 退職後 の11年8月、北米NO2のレーニア山4392mに登頂しようとIMS登山スクール(8人)に入った。キャンプミュアーの上に大きなクレバスがあり、ガスっていたら転落死の危険があるのでガイドは絶対必要と分かった。深夜の突風で2日とも目が覚め、睡眠不足に。アメリカ人ガイドがもっと食べよと言うが入らず体力不足(日本食必要)で登頂目前で他の人に迷惑をかけてはとギブアップした。昨年11月台湾の玉山(3,952m)に登頂した。雪がなく余りしんどくはなかったが、感動的な写真は撮れなかった。

 十番目の山はエベレストのカラパタールと決めていた。ダウラギリ・アンナプルナトレッキングに参加した06年、「愛知博」がありネパール館を訪れた。入口にエベレストが間近に見えるカラパタールから撮ったポスターが目についた。「これ誰が撮ったの?」と聞いたら「私だ」とTiwari氏。この雄大な大自然を是非自分もカメラに収めたいと思った。


Tiwari氏のカラパタールから撮ったエベレスト

 今年、アルパインツアーのパンフに「エベレスト・カラパタール20日間があり、早速申し込んだ。健康診断を受けるようにと京都の病院が紹介された。医師から「田島さん、糖尿病です。国立医療センターで再検査して下さい」と。ケガ以外の病名は言われたことがなかったのでショックだった。登山中止ではなく帰国したら再検査するようにと。
 アイゼンとピッケルは必要ないと聞き、20日間ゆっくり時間をかけて登頂しようと思った。
 3月11日 5:40 MKタクシーで関空に向かい、10:00関空を出発した。香港で成田発の人達と合流し、佐々木ガイドとも再会した。モンブランの時のガイドで、おおらかで経験豊富だから「カラパタール登頂間違いない」と思った。ダッカ経由でカトマンズに、そして宿舎のラディソンホテルに着いたのは深夜の12時を回っていた。時差はー2時間15分と半端である。
 翌朝 4:00起床。6:30出発のセスナ機でルクラに向かった。カトマンズは人が溢れ、蒸し暑く埃ぽかった。川にはゴミが、道路は掘り起こされたまま、交差点は信号がない。混沌としたネパールの首都である。天気はよく、機上から7-8000m級の雪に覆われた高い山々が見渡せた。
 ルクラに着いて宿舎ニューホリデーインに向かった。エベレスト街道は人気のトレッキングコースでドル箱だから新しい宿舎が建っていた。我々の宿舎も新築で、トイレは大理石風の立派な建物だった。食事もカレーライス、天ぷら、うどん、巻き寿司、稲荷寿司など日本人好みの食事を作る料理人がいた。佐々木ガイドは三浦雄一郎やイモトのチームも同じ料理人を雇っていると。重い荷物は牛が運んでくれるので、軽装でよく熟年、リタイヤ―組には嬉しい。キリマンジャロもアルパインツアーで参加したが、重い荷物をポーターが運んでくれた。
 3日目の夜、誕生パーティがあり、13人が各自自己紹介した。最高令は74歳で次に71歳の私、リタイア―組が続き一番若い人が札幌の女性で50歳? 湯たんぽが配られた。私を悩ませたのはSaO2(血液中の酸素飽和度)である。キリマンジャロに登った時、私のSaO2は43まで下がった。松本ガイドはその前38となり即1週間緊急入院した。佐々木ガイドはロンドン大学のインターンの測り方が悪かったからではと。毎朝直ぐ計測にくるので、測る指を顎の下の血管にあて温める。熱湯に浸けるとなおよい。その結果、最悪でも64で、ほぼ80台でよかった。


エベレスト(一番左)の朝焼け

 5日目〜 シェルパの里ナムチェバザール(3,500m)では6000m級のタムセルク、カンテガ、コンデ・リが見られた。ホテル・エベレスト・ビューではエベレストの勇姿を見ることができた。チベット仏教の僧院のあるタンボチェでは人気のあるアマダブラムや朝焼けのエベレスト、狛犬の寝そべるカンテガなどいい写真を撮ることができた。ティンボチェでは高度調整で連泊なので、洗濯物を洗い干そうと思ったら突如雪が降ってきた。夜空は澄んで白鳥座や北斗七星、オリオン座などが綺麗だった。

満天の春星ヒマラヤを尖らせて

 標高5020mのロブチェでは雄大なヌプチェ(7,900m)が迫ってきた。寒く冷たい風が吹いてちょっと疲れてきた。最後の宿舎ゴラクシェップ(5170m)に近づくと雷鳥のようなコンマ(年中茶色)が鳴いていた。朝はー20℃、昼でもー5℃という厳しい所。苦しく歩きが鈍くなってきた。足元を見ながら、一歩一歩確実に歩みを進めた。高山病には罹らなかった。佐々木ガイドからダイヤモックスを毎朝食後、半粒飲んだからだろう。 喉が渇いた。

喉渇く一滴の水凍てをりし


エベレスト(中央奥)を間近に見る田島(真中黄帽)

 12日目(3/23) 5:00起床、6:00出発。遂に5,545mのカラパタールに登頂した。ヤッター! 快晴でエベレスト(8848m)、ローチェ、ヌプチェなど素晴らしい景色が見られた。太陽がエベレストから昇るところを写真に収めることが出来た。気温はー5℃程で風もなく寒くはなかった。


エベレストに昇る朝日を背に荷物を運ぶヤク

 雪の上をヤクがエベレストを背に荷物を運ぶ、朝焼けのエベレスト、狛犬が寝そべっているようなカンテガ、人やゾッキョ(牛)が重い荷物を運ぶ。ルクラで絆の文字入りトレーナーを着た女の子など…。乾期なので毎日が快晴に恵まれいい写真が撮れた。大満足の旅であった。帰国後、早々に写真展をしようと思った。