だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました

「京都三山登り大会」

〜愛宕山、比叡山、鞍馬山に登り全行程72kmを歩く荒行ウォーク〜


 私は1961年同志社大学に入学し、松井七郎ゼミに入った。先生は1896年2月11日(明治29年)に群馬県安中市に近い富岡市相野田に生まれた。富岡中学校(現、群馬県立富岡高校)時代、先生は自宅から学校まで毎日片道6.7kmを約1時間で歩き、5年間皆勤であった。1915(大正4)年同志社大学に入学し、在学中比叡山に数十回登った。また京都3山(愛宕山、比叡山、鞍馬山)を一切交通機関を使わず、山20 km 平地52 km を1日で歩いた。古希など祝賀会の時、先生は「京都三山登りをまだ誰もやっていない」とはっぱをかけた。それを聞いた京都産業大学の松井ゼミの学生7名が挑戦した。「比叡山の山中で日が暮れ散々な目に会いながら22時間程かかってやりました!」と喜寿祝賀会で報告した。
 私も挑戦してみようと1989年正月に先生宅を訪れ、山の頂上とみなす地点とタイムをお聞きした。「16時間程であった」と。平地の距離を車で測ったら京都・大阪間と同じ52kmであった。山道はガイドブックで調べると20kmである。そこで、成人の日に比叡山と愛宕山を下見をかねて登ってみた。標高848mの比叡山は修学院・赤山神社から「きらら坂」を登り山頂遊園の「将門の岩」まで、上り52分下り40分であった。標高924mの愛宕山・愛宕神社には清滝・一の鳥居から77分、下り50分であった。二山ともガイドブックの半分の時間で登った。下山して暫くしたら土踏まずがズキンズキンと痛み始めた。自宅に戻りビールで乾杯したら白目を出して倒れた。妻がすぐ近くの病院に連れていってくれた。燃え盛る窯に水を吹っ掛けるようなものだった。2月5日に三つ目の鞍馬山に登った。金堂(500m)が頂上と聞いていたので石段下から12分で登った。鞍馬街道は道幅が狭く、目先ばかり見ていたら自動車がベルトを擦って走り抜けていった。もし骨盤に当たっていたら…。帰りに下見報告をと先生の家まで行ったが、6日後の先生の誕生日に写真を持って訪ねようと停車しただけで帰ってしまった。2月11日に計画表を持って訪ねようとした時、電話で「松井先生が昨日亡くなられた」と…。まさに「青天の霹靂」であった。遺影の前で誓った通り3月20日「京都三山登り」を一人で決行した。15時間10分!右足をひきずりながらゴールした。
 10月1日再挑戦した。前回、右膝を痛め、比叡山をケーブルカーで下山したからである。
 松井先生宅(京都府立植物園の北)を出発点および終着点とし、愛宕山が白みかける5時半ごろ清滝に着けるようスタートを午前3時半とした。予定表を作ったら到着時刻は何と18時07分となり、14時間37分で完歩することになる。この大記録を公的に誰か証明してくれる人はいないかと同僚に話したらKBS京都の報道部に電話してくれた。「先生、今日言って明日のことですから無理ですね」と。家に帰るとKBSから電話があり、「松井先生宅前で明日11時から最後の到着まで取材します」と。ラッキー!
 前回同様、ウォークマン、シャンソンのテープ、万歩計、ヘッドライト、筋肉痛用軟膏、お茶、大福餅、雨合羽を用意し、22時半に床についた。3時間半睡眠をとった後、午前2時起床、2:50自宅出発、3:15松井先生宅に到着した。柔軟運動をし、時刻入りの証明写真を撮り、3:31ヘッドライトをつけて歩き始めた。広沢の池では星座が輝きを増し、愛宕山からは雲海が見渡せた。山頂の愛宕神社には1分早い7:14に着いた。快調なペースで記録達成も夢ではないと思った。水尾別れでは野鳥の囀りが…。大覚寺、広沢の池、金閣寺など市街地は好きなシャンソンを聞きながらリズムをとって時速6.5kmで歩いた。松井先生宅に近づくとKBSの人が待ち構えていた。10分遅れの11:13に到着した。「休憩時間はできるだけ短く」お茶を飲み屈伸運動をしてすぐ出発した。食事は大福餅をウェストポーチから出し歩きながら食べた。比叡山には「きらら坂」を登り近道をしようと細道に入った。とんでもない藪の中に入りまさに「急がば回れ」であった。「将門の岩」に13:15到着。KBSの人がカメラを回していた。琵琶湖や京都市街を見渡し、野に咲く萩を愛で、御神水で汗を拭き、心にゆとりを持って下山していたら思わぬ時間をとった。またウォークマンを耳に当て音楽に合わせてハイペースで歩き始めた。国際会議場の横を通り静原、鞍馬、そして鞍馬寺金堂に16:34に着いた。「よし、これで14時間台の記録は達成できるぞ」と確信した。早足で先生宅に向かった。だんだん日が暮れてゆき、そしてついに18:15、松井先生宅に到着した。14時間44分だ! 自分の予想時間より7分遅れであった。
 「京都三山登り」がKBS「タイムリー10」で放映された。
 先生が亡くなった後、「松井会をなくすのはもったいない」と松井七郎会が結成された。1年後の1990(平成2)年3月21日(春分の日)に、追悼行事として「京都三山登り大会」を実施することを決めた。警察の許可を求めに行ったら、歩道が整備されてないところがあり認可は難しいと。大会の数日前に京都新聞に大会記事を載せてもらった。私の教え子7人を含め12名が応募してくれた。「愛宕山だけの42kmハーフコース」が9名、「72kmの三山登りコース」が3名であった。教え子(男4名、女3名)は全員ハーフコースを9時間台で完歩した。山鹿氏(京都走ろう会)と中山氏(同女中高教員)は走って4時間50分台でゴールした。フルコースの私とトライアスロン出場の会員松本氏は14時間45分かかって比叡山山頂に着いた。疲労と足の痛みで二人は約50kmでgive upした。完歩したのは圷氏(同大1年山岳部)だけで14時間40分であった。
 恩師松井先生の遺徳をしのび、先生が学生時代に挑戦した「京都三山登り」大会を実現できたことは大変うれしい。京都の名峰と嵯峨野など豊かな自然を取りいれた全国に誇れる荒行ウォークである。今、日本では高齢化社会を迎え、ウォーキングが見直されている。私は日本スリーデーマーチなどいろいろなウォークに参加しているが、深夜も歩き通す鳥取100kmウォークなど「骨太のウォーク」もあることを知った。おおらかなル-ルで結構参加者もいるそうだ。「京都三山登り大会」がもう一度、日の目をみることを願っている。