だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました

「海外初登頂 キナバル山」

東南アジア最高峰に教え子と登頂

 04年夏、深田久弥著「日本百名山」の100 番目の山・焼岳を教え子達と登頂した。次の目標は海外編となり、最初の山は04年夏に同志社教職員レクで行ったマレーシアにあるキナバル山に決めた。この山は東南アジア最高峰(4,095m)で世界遺産にも登録されている。関空から直行便が出るようになって日本人登山者の間でも人気が高まってきた山だ。山麓の資料館 Sutera Lodgeでキナバル山の写真を見たら、「山頂に雪がない!これなら登れる」と確信した。05年3月22日、焼岳に登った岸本君(京大ワンゲル部員)と二人で11時半関空を出発した。5 時間後キナバル山の山頂が雲の上に見えた。雪はない! コタキナバル空港で現地通貨に両替しようと思ったら汗がポトポト…。ここは31℃と真夏である。日本から2団体の登山者がタクシーで出発した。個人は我々だけで長距離バスは2 時間待ちであった。タクシーに乗り2 時間飛ばして午後6 時登山口(1800m,四合目)のビジターセンターに着いた。夕食を食べ夜空を見上げると夏の大三角が見られ、また蛙やすずむしの鳴き声が聞こえた。日本は早春だが、ここは夏の蛙や蝉、秋のスズムシが同居していた。
 翌朝、鳥の囀りで目が覚めた。ここは野鳥の宝庫で、ニュージーランド の人は260 種類の内60 種類の野鳥を見たと言った。朝食を食べた後ガイドに会った。今年ガイドの免許を取ったばかりの21 才Jacksonである。バスで登山口のTimpohon Gate に着いた。何と頂上までのマラソン大会があり、昨年1 位のイタリア人のタイムは往復2 時間40分と看板に書いてあった。宿泊するPanar Laban Hut まで6km、頂上まで8.5kmである。登山口を8 時に出発した。途中、自生するマレーシア最大のうつぼかずら(30cm 程)を見た。
 4時間ほどゆっくり登っていたら、両足大腿部と右足ふくらはぎに軽い痙攣を感じた。こんなのは初めての体験で、軽い屈伸運動をし、インテバンを塗り湿布を貼った。北アルプスの薬師岳で痙攣で下山する元気な東京のおばあちゃんのことを思い出し、急に不安になった。幸い荷物を岸本君が持ってくれ、5 時間半後、無事宿舎 (3630m)に到着した。
 夕食時、福岡のご夫婦からキリマンジャロとモンブランに登頂した時の話を聞いた。キリマンジャロは2月に登り、頂上(5,895m)には雪はないのでアイゼンはいらない。2日目は高度順応で同じ山小屋にもう1泊したので、14 人中高山病で登れなかったのは1人だけだったと。「よし登ってみよう」と闘志が湧いてきた。サンセットは赤く燃え広がり幻想的でとても美しかった。ヒュッテに戻るとイギリス人の若夫婦がいた。いろいろ話をしてビックリした。二人とも3 年間看護師をし、1 年間サバティカル休暇を利用して世界中を旅行していると。1年間働くと5週間の休暇がとれ、3 年間勤めたら1 年間も休暇がとれ、海外旅行を楽しめるなんて何と素晴らしいことか! 次に働く職場は見つけやすいので安心して辞められると。同志社春闘でも私が連合副委員長をしていた時、「教員にもゆとりを」と、このサバティカル休暇を正式に法人に要求したが実現しなかった。この夫婦はキャセイ航空のWorld trip代 1500 ポンド(31 万円)を含め1年間の旅行費用7000 ポンド(144 万円)を蓄え、マレーシアとサイパンに各2週間、香港と日本にも10 日間滞在する。京都にも来るというので名刺を渡した。座が盛り上がり私は得意な「Beautiful Sunday 」などを歌った。みんなは午後8時半に横になったのに私は頭が冴えて寝られず…。ついに午前1時半にセットしたアラームが鳴った。一番しんどい頂上アタックの時にほとんど睡眠をとれないとは! ヘッドランプをつけ午前2時45分 ヒュッテを出発した。さそり座を真上に仰ぎライトの長い列…。私はすぐ話し掛ける癖があって、イギリス、スウェーデン、デンマーク、フランス、ドイツ、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、中国、日本、マレーシアの人たちと話をした。3 時間後の5時55分、頂上の Low’s Peak( 4,095m )に到着した。富士山では二度とも高山病にかかったが、今回は無事だった。雲海から上る日の出を眺めながら、東南アジア最高峰の山に登頂した感激にしばし浸った。

「ご来迎 海外初の 雲上人」

 関空への直行便は隔日であった。前年に宿泊した岬の先端にある最高級リゾートホテル 5つ星のTanjung Aru Resortに1泊することにした。プルメリア、ハイビスカス、極楽鳥花など南国の花が私達を温かく迎えてくれた。ハワイのような爽やかな気候で、私はマリンスポーツに挑戦した。パラセイリングは初めてであったが恐怖感もなく楽しめた。水上スキーにも挑んだ。インストラクターは日本人女性と12月に結婚すると言って大変喜んでいた。「4回目だ」というとスピードをあげ、湾を何回も旋回・蛇行した。懸命についていったが横波に乗れず海に放り出された。椰子の木がゆれる中、プールでゆっくり泳いだり、マリンスポーツにと最高のリラクゼーションであった。

「椰子の木の陰のみ遊ぶマレーシア」

 このホテルの岬から見たサンセットは今までで一番美しく感動的であった。映画に出てくる「バリ島の落日」のようであった。

コタキナバルで水上スキーを楽しむ