だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました


退職後の初仕事

メンヒ(4,099m)登頂 と 新島先生の足跡を訪ねて

(ヨーロッパ編)〜サンゴタール峠とヴィースバーデン

田島 繁

 今年3月末に同志社中学校を定年退職した。退職後にまず最初にやってみたかったことは「マッターホルン(4,478m)登頂」である。2年前にモンブラン(4,808m)に登頂した時、イタリア人ガイドのMarcoに「あの尖った山は何?」と聞いたら「マッターホルンだ」。「登れるかなあ」と聞くと「Tajiなら登れる。乗せてあげる」と。そこで、彼と契約して昨年マッターホルンに挑戦した。朝3時53分にヘルンリヒュッテ(3,260m)を出発し、ソルベイ避難小屋に7:08に着いた。余り疲れることもなく順調に登り頂上が見えてきた。垂直壁になる頂上から約300m下で、「Taji ここまで!」と言われた。「まだ9時10分なのに!」と反論した。「これから頂上を目指すと垂直登攀だから上り下り各3時間かかり、山小屋到着が午後10時以降になり大変危険だ」と。マッターホルンは急峻な山で、岩に打ち込んだハーケン(鉤)は1ルート。上りも下りも同じ道だから、前がつかえたら登頂は難しくなる。来年はロッククライミングの技術と体力をつけ、皆が登り始める3時半以前に出発、それも満月の日に…」と、いろいろ作戦を考えた。
 退職後Marcoと連絡をとり、出発を1週間早めて7月22日とし、高所順応の山を昨年はブライトホルン(4,164m)であったが、今年はアイガー(3,970m)とした。大学院で環境問題に取り組む31歳のMarcoは私の計画に合わせてくれた。昨年同様、御在所岳・藤内壁でロッククライミングの練習をし、スイスに乗り込んだ。関空からフランクフルト経由でチューリッヒに。翌23日インターラーケンでMarcoに会い、ホテルで12本歯のアイゼンやファーネスなど装備を点検して登山電車に乗った。ユングフラウ、メンヒ、アイガーが美しく聳えていた。途中の駅でアイガー南西壁やミッテルレギ山稜ルートを登る登山家が下車した。私は本命がマッターホルンなので、アイガーは易しい南稜ルートを選んだ。ユングフラウヨッホ駅から35分でメンヒ小屋に着いた。宿舎は一杯で夕食は7時であった。イギリスの人達とビールで乾杯し話していたらもう10時だ。9時過ぎまで明るく彼らはメンヒに登る遅組だった。「3時半朝食、4時出発」とMarco。午前1時に目が覚めてしまいトイレに行った。満天の星が見られたが、旅の疲れと寝不足が…
 7月24日 3時に起床、4時に出発した。1時間程歩いたら険しい第一関門に。「ヘルメットを被るように」と言われた。その時、ユングフラウヨッホで4時間ほど遊んでいたら雪の照り返しで顔の皮膚がべろんべろんに剥けた女の子を思い出した。これから往復7時間はかかる。今のうちに日焼け止めを塗ろうとリュックの中を探していたらケータイがポロッと落ちた。「あ!5万円のケータイが!」私は咄嗟にダイビングした。ケータイは雪の上をすいすいと谷底に落ちていった。ザイルで結ばれていたmarcoは「Taji、What are you doing?」ときつく怒った。私が滑り落ちれば彼も道ずれとなる。「I’m Sorry. Sorry」と謝った。昨日山小屋で会った人が険しい崖を見て躊躇していた。そして引き返した。Marcoは「 Go up or go down?」と私に聞いた。「Tajiと道ずれになるのはいやだ」という気持ちが伝わってきた。私は教え子の家族とドイツのドレスデンで会う約束をし、メールで交信していたのでケータイを無くし動転していた。そんな時に「メンヒに行こう」と言われ、つい承諾してしまった。後から「マッターホルンに登る男がどうしてこれしきのことで!」と悔しくなった。あと3時間ほど我慢して登れば登頂できたのに!
 隣のメンヒは4,099mとアイガーより高いが、技術的には難しくなく、1度休憩しただけで、登山口から2時間40分で登頂した。頂上からユングフラウやアイガーなど素晴らしい景色を堪能した。1ケ所アイスバーンがありツルンと滑り、ヒヤッとした。
 翌日、Marcoの車で4時間、マッターホルンの登山口であるツェルマットに移動した。ツェルマットは環境対策で車の乗り入れ禁止。1つ手前の駅で駐車しシャトル電車に4分程乗った。翌日の天気は雨の予報だった。「逆さマッターホルン」を見ようとゴルナグラートまで登山電車に乗った。マッターホルンやモンテローザ、リスカムなど雪に覆われた4,500m超の雄大なアルプスの山々を眺めることができた。Marcoは「雨が降ればマッターホルンは雪となり、登山は難しくなるので、Pollixにしないか」と提案してきた。私は「あくまでマッターホルンがメインだし、予備日があるので1日延ばしてマッターホルンに登りたい」と1日延期した。朝見るとマッターホルンは美しく雪化粧していた。登るかどうかヘルンリヒュッテまで行って判断しようと、ゴンドラを乗り継ぎ、1時間半歩いて山小屋に着いた。今朝登った人が2人下りてきたので聞いてみた。「雪が多くソルベイヒュッテまでも行けなかった」と。ガイドは「アイスバーンの所もあるので慎重に」と。3日前にチェコの登山家が滑落死したと聞いた。Marcoは「Go up ? or go down?  登らないなら1/3の400ユーロ返す」と言った。登るのを断念し、いつか3度目の挑戦をしようと思った。

 「マッターホルンに登頂できる人は幸運で、一握りの登山家である」

 私は同志社の創立者・新島襄のことを研究する会で10月中旬に発表することになった。そこで、新島先生が登山中呼吸困難となり休み休み辿り着いたイタリアとの国境・サンゴタール峠(2108m)まで同じ道を実際に歩き、同じホテルに泊まって遺書を書いた先生の気持ちをいろいろ体感してみようと思った。
 また、新島先生は1872年5月岩倉使節団に同行し、欧米の教育事情などを調査し「理事 功程」の草案を書いた。厳冬のベルリンでの重労働のためリューマチ神経症頭痛に苦しん だ。1873年2月にドイツ人医師の勧めでフランクフルト郊外にある国際温泉保養地のヴ ィースバーデンで湯治生活をした。私も先生が入った「Kaiser Friedrich Therme」で温 水と冷水に繰り返して入る「冷温水循環浴」を体験した。


 ここは日本の温泉のように水着をつけず、しかも男女混浴で ある。「ミロのヴィーナス」を目の当たりにした。
 州立図書館に行き「ドストエフスキーがここを訪れカジノ で大損をした。著名人の来訪記録はありませんかと聞くと、 先生が訪れた年の「温泉新聞」を持って来てくれた。記事の中に「Nee Sima,Hr.,Japan」 を見つけた。Bravo ! Hotel Ro¨merbadの住所も調べて貰い、その場所を探して見つけた。
 帰りに、中学生たちがバスに乗る光景を見た。8月5日、日本では夏休みだ。図書館の 人に聞いたら、夏休みは6週間あるが、州によって日にちが違う。ここは8月1日から2 学期が始まる。ミュンヘンはこれから夏休みに入る。その理由が面白かった。日本のよう に全国一斉に夏休みに入ると交通機関やアウトバーンがパニックになってしまうので、各 州の教育委員会が日にちをずらしているのだと。ドイツは「地方分権」で、みんなが休み を楽しく使おうという成熟した「レジャー大国」だなあと思った。