だいごのじまん


「Tajiとショコラ」  ー2009.9.6−
〜盛大な地蔵盆、母校・中京大中京43年ぶり優勝〜



お地蔵さんへのお参りから



こどもたちもお行儀よく


今年のこどもイラスト展のテーマは「えがお」


小学のおともだち

 今年は町内の組長、ブロック長となり、地蔵盆(8/22-23)のお世話係となった。前日の金曜日午後、組長総出で盆踊り等の「やぐら」を組み、模擬店準備、子供イラスト「えがお」展等のテント張りなど夕刻まで行った。
 地蔵盆当日(土)、熱中症対策で子供には飲み物自由となったが炎天下でなくよかった。 午前中お地蔵さんお参りと子供おやつ渡し。午後、家庭福引きがあった。1等カーナビ、 3等ズボンプレッサー、5等人気の「新潟コシヒカリ5kg」、7等洗剤だ。くじ運の悪い私が何と3等が当たった。夕闇迫る頃、チャンバラコンビ(心企画)のショータイムがあった。新選組副長を務めるわが町内会長で京都造形芸術大学・奈良磐雄先生の働きかけである。昨年は神戸からチンドン屋を呼んだ。ユニークな企画で、親子が楽しく見学・参加していた。提灯の明かりの下、やぐらステージで演ずる催しは地蔵盆ならではの雰囲気だ。


21日午後は舞台設営

おでん用の卵を組長が手分けしてゆで卵に


22日夕方5時30分から模擬店の販売開始


揚げたてのポテト、コロッケはおいしい


チャンバラ


東映剣会の役者さん


高橋副会長がインタビュー

 その後、盆踊りの曲がかかった。盆踊り推進委員長を会長より仰せつかったので、「みなさん、輪になって楽しく踊りましょう」とアナウンス。毎年踊ってくれるご婦人たちに交じって男性も6〜7人、若い夫婦も入って踊ってくれた。「へえ!あの人が踊るの」と驚きもあった。一重の輪ができるのがせいぜいであった。核を作る必要性を痛感した。この夏本場・徳島まで行き阿波踊りを踊った者としては、来年に向け「炭坑節、江州音頭を踊る会」を作り頑張ってみようと思った。
 

金魚すくい


ボール的なげ


グランドゴルフ


陵友ソフトボール同好会が「かき氷」をサービス


こども福引き

 翌23日(日)は、金魚すくいやボール投げ、グランドゴルフなど子供向けゲーム大会、子供福引大会、ラジオ体操参加賞渡しがあった。子供達のため、また町内親睦のため地蔵盆は盛り沢山の企画で、たくさんの子供や大人が参加し成功裏に終わった。お坊さんは「私の町内の地蔵盆には子供が10数人しか集まらないが、こんなにたくさんの子供が参加する町内は珍しいだろう」と。奈良会長のご尽力で日本や世界に情報発信できるウエブサイトKyoto Daigo Jimanができたが、まさに御霊ケ下・大構町の地蔵盆は京都・醍醐の自慢である。 

 地蔵盆の後片付けを終え、私は甲子園球場へと急いだ。高校野球準決勝、花巻東と対戦する中京大中京を応援するためである。私は名古屋市で生まれ、小学校の時よく風邪をひきお医者さんでよく注射を打った。友達に高台にある中京商業高校付属中京中学校を勧められ、受験して1955年に入学した。中商は全国高校野球大会でその前の54年夏に優勝した。56年と59年の春にも優勝、58年は春準優勝と野球の全盛期であった。私たちは高台でよく校歌を歌い応援練習をした。昨年秋「フィギャースケートで活躍する浅田真央」の学校を見ようと50年振りに母校を訪れた。中京中学校の最後の卒業生だと言う野球部OBの伊藤氏に会った。「来年春の選抜には甲子園に行きますよ」と。


前田氏と甲子園応援

 今春、準々決勝に進出した中京大中京を応援するため甲子園に行った。1点リードで迎えた9回、2死、2ストライクに。アルプス席から「あと一球、あと一球」と。しかしエース堂林がデッドボールを与え、その後ヒットを打たれて逆転敗。ベスト4進出を逃した。 今年の夏の大会には6試合中5試合甲子園で応援した。準々決勝の都城商との試合は「地蔵盆」のお世話でTVで応援した。今年のチームは投打に優れ安定感があるので期待がもてた。準決勝は菊池投手を擁する花巻東との対戦だったが、4ホームランを放ち11対1で圧勝した。


ゲーム中

 9/24(月)「日本文理との決勝戦でもきっと勝てるだろう」と友人を誘い甲子園に行った。アルプス席のチケットは完売だったので無料の外野席で応援した。1回裏に堂林の2点ホームランで先制。同点となった6回裏にも堂林のヒットが口火となり8対2と突き放した。最終回には6回から救援・好投していた森本投手に変わり再びエース堂林が登板した。2死、走者なし。10対4で6点差だ。私は最後の歴史的瞬間を撮ろうとカメラを構えた。2ストライクとなった。「あと1球、あと1球」。だが勝ちを意識してか堂林は4球、二塁打、三塁打、デッドボールと突如制球を乱した。再び森本投手に交代。しかし、日本文理の粘りで4球、ヒット、ヒットで1点差に詰め寄られた。「春の悪夢」が蘇ってきた。甲子園球場は騒然となった。「逆転されるのでは」と生唾を飲んだ。日本文理の8番打者・若林の打った強烈な打球は三塁手河合のグラブにスポッと入った。「よっしゃ!」ゲームセットのサイレン。隣の前田氏と「よかった!よかった!」と握手した。「いつまでも語り継がれるでろう好ゲームであった」「夏7回優勝という史上最多記録達成はまさに神業であった」名古屋で応援している伊藤氏に「43年ぶりの優勝、そして夏7回史上最多の優勝おめでとう!」と電話し喜びを分かち合った。春夏11回優勝も史上最多記録である。


中京優勝爽やかメダル


熱戦の記録

 甲子園で応援できる幸せを思った。そして、このような感動を与えてくれた高校野球関係者やこの大会を支えてくれた多くの人たちに心から感謝したい。「高校野球」ほど国中を湧かせるスポーツはないであろう。これが世界のイチローや松井秀樹に繋がっている。2012年ロンドンで開催されるオリンピック種目から野球が外されたのは大変残念である。

「一点差古里ひとつ球児燃ゆ」

「甲子園熱闘終えて虫すだく」