だいごのじまん


「Tajiとショコラ」  ー2010.1−
〜オバマ米国大統領のハワイの母校などを訪ねて〜

 オバマ大統領がクリスマス休暇をハワイで過ごしているニュースを見た。昨年は海外旅行に行っていないので、家族でハワイに行こうと切り出した。もうハワイは数回行っているので格安チケット店を訪れた。「4泊6日86,000円」というのがあった。1993年夏に同志社教職員組合のレクでハワイに行った。 組合の補助を付けてフリープラン10万円を切る企画を作った。50名が参加する盛況であった。当時と比べ円が1ドル=90円と高く、1月である、またリーマンショック後の世界的不況で競争が熾烈となった結果であろう。
 ハワイのコンビニで「オバマランド」という本を見つけた。ハワイ大学から15分程の「Punahou School」が出身中高等学校だと分かった。早速、ハワイ大学に向かった。私は1967年にハワイ大学で1ケ月間夏期講習を受講した。「中学高校の教師のためのコース」で知り合った友人の伴奏で、当時流行っていた「タイ二―バブルズ」を一緒に歌った。そのミニホールを学生達に聞き探したが、40年余り前のことで結局見つけることは出来なかった。



オバマバスケ部員

 ハワイ大学から歩いて15分程の所に「Punahou School」があった。165年前に創設されたキリスト教主義の学校で、キャンパスがとても広く門がない。校内に入って行くと中高校生が楽しく歓談しながら下校するところであった。ある女子高生に「オバマ大統領がこの学校の出身ですね。どう思いますか」と聞いたら、「I am cool」と。どういう意味?と聞くと、「私もこの学校でしっかり勉強すれば大統領になれる。興奮するんでもなく私は冷静に受け止めている」と。事務室に案内してもらい、パンフレットを貰った。オバマ氏は大統領選挙の前にこの学校を訪問した。この近くのコンドミニアムにお祖母さんと暮らしていた。学費について尋ねると、年間18,000ドル(162万円)だと。ハワイ大学の学費を日本人留学生に聞くと年300万円だと言った。日本のように私学助成がないから高学費なのであろう。4回生で観光学科の彼女は「ハワイは日本人観光客が減り景気が悪い。ハワイの失業率は7%を超え、ここでの就職は難しいので日本で探す」と。ハワイで会ったマキキ聖城教会の教会員は「娘がサンディエゴの大学に通い授業料は400万円と高い。奨学金をもらっているので年40万円程仕送りをしている。子供の高い教育費を稼ぐため両親共働きが普通で、日本のような専業主婦は夢のような話ですね」と。満月だったのでワイキキビーチに行った。ベンチに傘を差して横たわっているホームレスの人を3人見かけた。1月は雨季であるが雨は1回パラパラしただけ。最低気温23度、最高気温28度でアロハシャツ1枚だけで十分の国だからか。


プナホー図書館前広場


プナホー理科館

 93年の時は水上スキーをしたが今回は実施していなかった。そこでサーフィンに初挑戦した。1時間のレッスン料は40ドルだ。もう20ドル払ったら1時間のフリーが付き、1人で教えてもらえた。水上スキーはココ湾を6回も旋回し、「50歳だ」と言ったらビックリされた。しかし、波を待ち波が来たらすぐに4m程のボードの上に立ち、波にうまく乗るのは容易ではなかった。6回中2回乗れただけで疲労困憊した。
 ハワイのシンボル・ダイヤモンドヘッド(標高232m、1km)に前回は40分で登った。今回は無料バスが1時間に1本巡回してくるので、急ぎ足で登り27分で登頂。雄大な景色と証拠写真を撮った後、最後は走って55分で戻った。京都の大文字山より楽ですね。


サーフィン in -Hawaii

 最後に、食事には困った。メニューが横文字で書かれておりこんなものであろうと勝手に想像して注文した。出てきた料理は随分違っていた。チップを10-15%置くように言われていたが置く気持にはなれなかった。チップの制度は日本人には馴染まないですね。やはり日本で食べる料理の方がおいしくて価格もリーズナブルだと思った。
 帰りのJAL機上で客室乗務員から「誕生日おめでとう」と、カードとシャンパンをプレゼントされた。行きのJALにはタイ人の客室乗務員がたくさん乗っていた。アメリカン航空とJALの共同運航だからこういう形になるのだろう。日航の経営再建のため、このような形が今後多くなるのであろうと思った。
 ハワイ入国時には顔写真と両手の4本指+各親指の指紋を採られた。勿論、事前に自分のパソコンでESPを取得することが義務づけられた。世界を何の不安もなく旅行できる「平和な世の中」になって欲しいなあとつくづく思った。
 

誕生日シャンパンとTaji