だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました

モンブラン登頂

モンブラン山頂にて田島氏とMarco

Lucky! Mont Blanc 登頂
田島 繁

8月9日午前6時30分、憧れのモンブランに登頂した。2年前の春、東南アジア最高峰・マレーシアのキナバル山に登った時、山小屋で福岡のA夫妻と日本百名山踏破など山談義で盛り上がった。その時、「田島さんならキリマンジャロもモンブランも登れますよ」と言われた。 昨年夏にキリマンジャロに挑戦した。5,895mとアフリカ大陸最高峰ではあるが、頂上は雪がないので登頂できると思った。SaO2(血液中の酸素濃度)が登る前は78であったが、登頂後44まで下がり、緊急入院寸前となったが、ガイドからダイヤモックスを飲むよう勧められ、高山病に対する不安は全くなく登頂することができた。
A氏が送ってくれたモンブラン登頂記をもう一度読み、「今二人が滑落死した」というTVニュースのところを読んだ時、顔がこわばった。標高4,807mのモンブランは2,500m程から雪に覆われている。私が登った「雪山」はゴールデンウイークに登った白山だけで、軽アイゼンとストックで登った。しかし今度は12本爪のアイゼンとピッケルが必携で、雪山技術訓練が必要な山である。そこで「八ヶ岳冬山訓練」に2月末に参加した。猛吹雪の中を行進し、スキー手袋は役に立たないことが分かった。唐松岳登山のガイドH氏に6月末ピッケルワーク及びファーネスとザイルの結び方を教えてもらった。最後の訓練として、今まで二度登って二度とも高山病にかかった富士山に登り、ダイヤモックスが有効かどうか試してみた。頭痛は全くなかった。重登山靴やオーバーズボン、マウンテンジャケット、オーバーミトン、ピッケル、アイゼン、ハーネス、カラビナ、ヘルメット、日焼け止め、サングラスなど「モンブラン登頂」を夢見て買い揃えた。
 1週間前に参加者名簿等が送られてきた。参加者は男子4名、女子2名の計6名だった。雪の穂高連峰や丹沢連峰縦走など相当な訓練をしてきた人達だ。成田空港から4名、中部国際空港から1名、関空から1名で、スイスのジュネーブ空港で合流した。専用車でフランスのシャモニー(1,040m)に移動中、天候のことが話題になった。日本人ガイドは「今まで天候が悪く、同社の企画に参加した人はまだ誰もモンブランに登頂できていない。天気予報では明日、明後日はぐずつくが、登頂を目指す日からだんだん天気は安定してくる」と。少し安心し希望が持てた。宿舎でモンブラン・トレッキングの人達に会った。「天気が悪くモンブランはほとんど見えなかった」と。8時間の時差があり、今日は25時間起きていたことになり、すぐ横になった。
 翌日、小雨が降っていた。レインコートを着て、登山列車に乗ってモンタンベール(1909m)へ。フランス人ガイドと合流し約60m程の直登の階段を上り下りしたり、メール・ド・グラスの氷河やクレバスをロープで渡り歩く訓練をした。高所適応のためクーベルクル小屋(2687m)に泊った。
朝起きると、目の前のグランドジョラスが朝日で金色に輝いていた。そして奥にはモンブランの山頂が見えた。「Unbelievable」と絶叫した!ジャコウソウやオニアザミなど高山植物が雨に濡れて咲いていた。グランドジョラスの登頂基地となる小屋に着いた。北壁が真近で雄大に見えた。シャモニーに戻り、日本料理店で英気を養った。
 翌朝、快晴で山々がくっきり見えた。ラッキー! レ・ズーシュへの沿道はいろんな花で飾られ、しゃれた街の景観を醸し出していた。ロープウエイでベルビューまで上がり、アプト式の登山列車でニー・デーグル(2386m)へ。そこからテート・ルース小屋(3167m)まで2時間半で歩いた。カモシカを何匹も見、後半は雪が積もっていた。
 昨年出来た新しい山小屋で3名のイタリア人ガイドと会った。みな1人1名のガイドを予約しており、私はMarcoに決まった。「World Cup決勝戦をテレビで見たよ」と話しかけたら、フランス人ガイドの一人は「もういい」と。稚内より北に位置し夏時間だから日没は9時だ。Sunsetが美しく、モンブランビールで乾杯した。明日はいい天気になるぞ! 
 朝、5時45分ごろ目が覚めた。Sunriseだ。朝食を済ませ、Marcoとザイルで結び出発した。このコースが一番の難所で、落石の危険のある大クロワールをMarcoの指示で急いで駆け抜けた。そこから急角度の岩稜帯となり、Marcoに力強く引っ張ってもらった。1回休んだだけで一気にグーテ小屋(3791m)まで這い登った。下りる人がいたら避ける余地がなく、3人連携したイタリア人ガイドの腕の見せ所だ。2時間後の10時半頃グーテ小屋に着いた。今日はここまでというので、私は上に行きテントの人達と話をした。ロシア、イタリア、イギリス、ドイツ、チェコから来たと。ラトビアの人は犬と一緒に登頂すると。時間があったので、雄大でいい写真がたくさん撮れた。30分程であったが、雪眼で目がチカチカしてきた。食堂の掲示板に富士山登頂のBANZAI Flagを貼らせてもらった。
 午前1時起床。朝食をとり2時40分に出発した。満月だ。2時間後ドームデグーテ辺りで風が強くなり、空気も薄いので呼吸が荒々しくなり、足どりも重くなった。Marcoは休みをとらないので、もうクタクタになり、ただヘッドランプで足元を見、Marcoに引っ張ってもらった。「Tajiあれが頂上だ」「え!もうヴァロ避難小屋は過ぎたの?」と聞いたら、「もう過ぎた」と。うれしかった。もう頂上は真近だ! 細い雪稜を歩いて行くと、だんだん明るくなってきた。「Tajiここが頂上だ!」ヤッター!5時間のところを3時間50分黙々と歩き、ついに登頂した。Marcoに抱きつき、感謝した。
「モンブラン夢の登頂日脚伸ぶ」
証拠写真を撮ろうと、デジカメを出したら、前日にバッテリーを充電したのに、バッテリー切れの表示。「Taji 寒いからもう下りる」と。「ちょっと待ってくれ」もう一台のデジカメを出したらこれもバッテリー切れ。残念!白山の二の舞だ。一番欲しい登頂の写真がない。うしろの人に「1枚写真を撮って」と頼み撮ってもらった。
グーテ小屋に戻ると、中指と薬指の先端が感覚がなくなり、青紫色に変色してきた。凍傷だ。マイナス20度程の中、素手でデジカメを握ったからかな? でも、よかった!ヨーロッパ・アルプス最高峰のモンブランに登頂できたのだ! 凍傷は私にとっての勲章だ!
大クロワールも無事駆け抜けた。うしろを歩いていた人は救急ヘリコプターで人が運ばれるのを見たと。フランス人ガイドは「昨日1名が滑落・死亡した。毎年数十名の犠牲者がでる」と。そのガイドは「我々が去った後、天候がまた崩れ、冬に戻った」と。
我々は天候に恵まれ、登頂でき、本当にラッキーであった。
登頂の翌日、ロープウエイでエギーユ・デュ・ミディ(3842m)に上った。快晴でモンブランやグランド・ジョラス、マッターホルンが見えた。「マッターホルン登頂」Marcoは「tajiなら大丈夫」とメールで送ってきた。次なる目標・夢が芽生えてきた。