だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました

「Bravo! ダウラギリ・アンナプルナ・トレッキング」

ダウラギリ山とオランダ教育実習生とシェルパ

 日本百名山全山踏破(04年夏)後、関心は外国の名峰に向かい、05年春に東南アジア最高峰のキナバル山(4101m)を、05年夏にはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)に登頂した。06年春はヒマラヤ・トレッキングを計画した。05年春、愛知博のネパール館で知り合った写真家・Tiwari氏をヤマハドラッグスター400で京都案内をした。その時、氏はエベレストが真近に見られるカラパタール(5,545m)まで連れて行ってあげると言った。氏に電話したら、残念ながら春休みはフィリピンに取材予定が入っており行けないと。そこでキリマンジャロ登山でお世話になったアルパインツアー社に電話した。ネパールは政情不安で4月8日からカトマンズでゼネストが予定されていると。「エベレスト・カラパタールコース」を諦め、9日間の「アンナプルナ・ダウラギリコース」に変更した。
 3月28日(火)10:05関空からキャセイ航空に乗り、香港で関東の参加者と合流した。13名はネパール航空でカトマンズに午後6時35分到着した。時差が2時間15分で、気温は30度と京都の倍で、降水量は半分だ。(8月は降水量が京都の倍もあり登山にはよくない)3月は降水量が少ない分停電が多いようで街中は薄暗かった。Razison Hotelに着き、1ルピー(Rs)=1.5円で両替した。 翌朝、20人乗りの小型機でポカラへ。ここから見るアンナプルナ連峰は素晴らしかった。

アンナ峰春の訪れ絵師の筆

 現地ガイドやポーター・調理人など23名と合流した。検問所で国立公園入域料3,000円を払った。銃を持った若い兵隊さんが観光客より多くいた。ルムレでバスの屋根から鍋やバーナーなど食材や機材を下し、民家の前で食事を作り始めた。そこへチベットからの難民だという若い女性2人がバスで駆けつけネックレスやブレスレットなどを陳列し始めた。遠巻きに見る子供たちは元気だった。石畳のよく整備された小径を50分程歩いたら、最初の宿泊地チャンドラコットに到着した。夕食時、全員が自己紹介し、風が吹き込む部屋で寝袋に入って寝た。夜空がきれいで、星座がぎらぎら光っていた。
 明け方、雨音がしたので山は見られないなあとベッドに入っていたら、人の声がした。起きると何と素晴らしい光景。Wonderful! Great! 眼前にダウラギリ I 峰(8,167m)とアンナプルナ I 峰(8,091m)、ヒウンチュリ、マチャプチャレ(Fish Tail 6,993m)が美しく見えた。

黎明のアンナプルナや神の技

 途中、消毒液で子供達の手当てをしていたフランス人女性教師と話しをした。退職し遊びに来た父親は私が登りたいと思っているモンブランに登頂した。残念ながら友人は負傷し、登頂成功率は1/3だと。ラバが5匹程ガスボンベや食料品などを運び下山していった。ガンドルンに到着。大きな村で学校があり、子供達はバレーやバスケを楽しんでいた。夕焼けに染まるアンナプルナとマチャプチャレの写真を撮ることができ最高! 地ビール・エベレスト(180Rs)で月に乾杯した。
 3月31日(金) スズムシの音で目が醒めた。山々に朝日が差す瞬間をカメラに収めることができた。ホテルアンナプルナを出発。ヒマラヤ小桜、さるおがせ、エニシダ、トキ草、ムクドリ、カワセミが見られた。宿泊地タラパニに昼過ぎに着いてしまったので、途中で出会ったオランダ人の若いカップルとゆっくり話すことができた。日本で話題の少子化について聞くと、オランダでは子供は欲しいが結婚や夫はいらないと考える人が増え、Single motherが増えている。ゲイも3年同居すれば結婚できる。40時間以上働くと労使とも問題になる。男性も育児休業を取る。月〜金で4日間働き、1日はフリーで子供の世話をする。国から少しお金が出る。教師になるには4年間教師のためのコースをとり、実習は3ヶ月あり、オランダでもネパールでもよい。二人は2ヶ月半ネパールで英語を教える。これはオランダだけでなく、全EUに共通だ。先のフランス人がここで働くのもそのためか。カトマンズでは大臣の汚職が多いので人々はマオイストを支持していると2時間程話をした。宿の主人は踊りを披露するからマオイストのため1人50Rs寄付をと。賑やかな歓声が夜遅くまで聞こえた。
 4月1日(土) ラリーグラス大木の中を歩いた。Tiwari氏の言う国花「真っ赤な石楠花」はこれかと感動した。デオラリ(峠3,103m)には残雪があり、昼食をとった。カレンダーがあり1〜11のネパール数字が面白かった。14:40ゴラパニに到着すると同時に落雷と大雨が降り始めた。ラッキー! 小雨になったので本屋に行くと、今度は雹が降ってきた。参加者の中に新婚さん夫婦がいたので祝う会を企画した。シェフが大ケーキをプレゼント。「新妻に捧げる歌」を練習し、宿泊者もみんな歌ってくれた。途中で停電となり蝋燭の中での祝会となったが最高だった。
 4月2日(日) 4:15起床。昨日雨が降ったので満天の星だ。4:50出発 黎明、徐々に山の姿が浮かび上がった。5:15 プーンヒル(3,194m)に着いた。光がキし始めた。何とまあ黄金色だ。ダウラギリ・峰の先端が光輝いている。スタンドを立てて写真を何枚も撮った。素晴らしい! Bravo!
 ダウラギリ、チュクチェ、ダンパス、ニルギリ、アンナプルナ、ファング、ヒウンチュリ、マチャプチュレと大パノラマが雲ひとつなく見渡せた。これ以上の景観・感動はないだろう。 Tiwari氏もシャッターを切りながらこんな感動を抱いたのであろう。下山途中、絵のような光景が見られた。

 石楠花の輪の中鎮座ダウラギリ

 ヒマラヤの苗代光る大棚田

 ティルケドゥンガに着くや雨が本降りとなった。宿泊者のドイツの若いカップルと話をした。5週間の休暇でアンナプルナABCまで行き、この後ブータンに行くと。「どうしてそんなに長い休暇が取れるのか」と聞くと、初年度で30労働日(6週間)誰でも休暇が取れる。今はドイツのボーダフォンで働いているが、外国に流出する企業が多く、失業率は平均9〜10%で若者は20%と高いのが問題だと。 夕食後、お別れパーティが開かれた。ネパール人が踊る輪の中に我々も入り、私も「Beautiful Sunday」を歌った。素晴らしいトレッキングとなったことをみんなで拍手し感謝した。
 翌日、ポカラ空港でTiwari 氏のポスターや写真を見つけた。店の主人は彼をよく知っており自宅に電話してくれた。奥さんが出て「バイクで京都案内をしていただいて」とお礼を言われた。彼の撮った山のすばらしい写真集やポスターをお土産に買った。
 4月4日(火) エベレスト遊覧飛行に乗った。160USドル。スチュワーデスが機長の所まで案内してくれ、機長が流暢な日本語で「あれがエベレストだ」と。半分雲がかかっていたが、8,848mの山頂ははっきり見えた。白旗氏が撮影している光景を思い出し感動した。
 その後、テニス仲間が紹介してくれた日本語学校のポカレル校長を訪ねた。氏は日本で1年間程メガネの研修をし、日本が大好きになり、5年前にカトマンズで日本語学校を立ち上げた。二階建ての各教室には日本の祭や文化が紹介されていた。校長先生に「どれぐらいで日本語が話せますか」と聞いたら、「2年程で話せるようになりますよ」と言われた。
 天候に恵まれ、すばらしいトレッキングとカトマンズ観光をすることができた。

同志社中学校でTiwari 氏と