だいごのれきし


醍醐の峯に理源大師が登られた時、仙人が現れ、この水は醍醐味(大変美味)であると言って神水を教えました。大師はその水を元として大伽藍を創立し、上醍醐、下醍醐の寺が出来たといいます…。

ここは東国と西国の勢力の境目でもありましたので、戦のたびに民衆は苦しめられ、お寺や家々は破壊されました。

応仁の乱以来天下が乱れていたので、秀吉は民衆の心をいやすため『醍醐の花見』を盛大に開いたのは有名です。

日野は日野家の領地で、法界寺には藤原時代の美術の粋が現存します。

親鸞聖人生誕の地でもあり、鴨長明が『方丈記』を記した所でもあります。近くには醍醐天皇陵もあり、小野の小町の伝説も有名です。



御霊ケ下町 町名の由来

小さな丘になっている。小さな祠を里の人々は御霊山と呼んだことによります。この小さな丘から土砂を採れば白蛇のたたりがあるとの伝説もあります。町内から奈良前期の古甍が出土し、寺跡であると言われています。


■平安時代/(西暦)

貞観16年(874) 理源大師醍醐寺開創

貞観18年(876) 理源大師自作、准胝如意輪の両観音像彫刻なり山上にて准胝堂、
         如意輪堂、落慶法要営まれる。笠取山を醍醐山と改める

延喜7年(907) 醍醐寺勅願寺となる。山上に薬師堂建立。五大堂醍醐天皇により
         創建

延喜19年(919) 醍醐寺第一世座主観賢僧正により開山堂創建される

延長4年(926)  醍醐天皇醍醐寺山下に釈迦堂即ち金堂、清滝宮鐘楼建立

延長8年(930)  醍醐天皇没、御母の命により五重塔の造営に着手

天暦3年(948)  醍醐寺に法華三昧堂建立

天暦6年(952)  醍醐寺五重塔完成

寛仁2年(1018)  随心院創立

承安3年(1173) 日野で日野有範の子親鸞誕生

■鎌倉時代/

建暦2年(1211) 鴨長明、日野にて」方丈記」成る

■室町時代

文明2年(1470) 応仁の乱にて醍醐五重塔を除き諸堂焼失

■安土桃山時代/

文亀2年(1502) 織田信長の兵火にて諸堂荒廃する

天正10年(1582) 6月13日明智光秀小栗栖の薮で討たれる

慶長3年(1598) 秀吉下醍醐の再建に着手。花見の宴3月15日、ついで秀吉死去。

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明治12年(1889) 笠取五ヵ村合併し笠取村となる

明治18年(1895) 一言寺を廃し別格本山金剛王院となる

昭和6年(1931) 宇治郡醍醐村字醍醐より京都市伏見区醍醐となる

昭和52年(1977) 府立東稜高校開校

昭和59年(1984) 醍醐総合庁舎が開庁

平成5年(1993) 醍醐寺「世界文化遺産」登録

平成9年(1997) 京都醍醐センター「パセオダイゴロー」西館3月オープン

平成9年(1997) 地下鉄東西線(醍醐-二条)10月12日開業

『復刻 ふるさと醍醐』京都市立醍醐小学校育友会 視聴覚委員会編
発行●平成9年2月11日 京都醍醐ライオンズクラブ
編集●だいご読書グループ(代表 佐藤てる代)発行 より