だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました

「日本百名山全山踏破」(上)

・大山、・利尻山、・富士山、・大峰山、・宮之浦岳、・北岳、・幌尻岳

17ヶ所渡渉の難関・幌尻岳

98年7月、私は全国私学教育研究集会(青森県)で「バーチャル株式投資ゲームに取り組んで」という題で発表することになった。これは、アメリカの中高生が「Stock Market Game」を通して生き生きと株式投資や経済の授業を楽しんでいるという記事を97年5月NIE(教育の中に新聞を)で知ったのがきっかけだった。私も株式投資授業をすでに実践しており、パソコンが大学から提供されたので97年9月いち早く「バーチャル株式投資ゲーム」を導入した。その実践を同志社教研、京都教研で発表したら全国大会に推薦された。オートバイViragoで青森まで行くのでその前後どこに行こうかなと書店でガイドブックを探した。同じ棚に「日本百名山」の本があった。「日本百名山」とは、登山家の深田久弥氏が歴史と風格があり親しまれている1500m以上の日本の山を100選んだものである。NHKで放送され少しは知っていたが、改めてページをめくると利尻山や白馬岳、槍・穂高岳、谷川岳、燧ケ岳など20登っていた。「もう80楽しめる」とその年から登り始めた。羊蹄山や岩木山、京都に帰ってから大峰山、石鎚山などその年に8つ登った。それ以来、全私研前後に、ひと夏に10余り登り、7年目に「焼岳」を教え子と登り「全山踏破」した。思い出深い15の山を紹介したい。

・大山(1729m) 同志社中学校に就職した68年の11月に同僚と鳥取県の蒜 山高原に行った。初冠雪の大山に魅せられ一人鏡ヶ成国民宿舎に泊まった。 翌朝空を見たら真っ青な快晴。ラッキー!烏ケ山に登り瀬戸内海の方を見たら真っ 黒な雲が…。しまった! 急いで登ろうと雪の上を走った。雪のないところに来 た。風の通り道で岩はボロボロ。危ないので岩の上を避けトラバースした。 雪から出ている草を掴み垂直移動した。暫くすると草がなくなった。顔と 指を雪の中に埋めしっかり足場を固めながら慎重に横に移動した。雨雲が 近づいてきた。十分雪を踏み固めたつもりで体重を移動させた時、「あっ!」 とまっ逆さまに落下した。咄嗟に両手でブレーキをかけ30mほど滑落して 止まった。雪のある尾根に向かって歩こうとしたら足がガクガクして先に 進めない。初めての経験だ。山小屋の主人から無謀だと怒られた。大山登 山口まで下山し、振り返って頂上を見上げた。「おお、俺はまだ生きている、 生きている」と感動した。

・利尻山(1721m) 84年7月洞爺湖全私研の後、稚内から利尻島へ。登山 の主人から「いつもこんな天気だ」と言われ決行した。3合目で下山する 人に会い「上は晴れている」と。前を歩く青年に話しかけた。彼の父は3 年前に亡くなり父の好きだった山登りにいつしか自分も魅せられてしまっ たと。唯一危険な瓦礫を横切る付近に高山植物が美しく咲き乱れていた。 空はスカッと晴れ、鷲泊ルートとの合流地点を過ぎると間もなく利尻山の 頂上に着いた。3時間18分だ。四方八方が見渡せ雲の上の仙人となった。 海抜0mから登る利尻山の方が富士山の五合目から頂上までの標高差より 高い。百名山の中で最北端の利尻富士。行き交う人も少なく、高山植物も 美しい満足度の高い山だった。

・富士山(3776m) 3回登った。1回目は83年8月五合目でストップウオッ チを押し何時間で登頂できるか競った。特に胸突き八丁ではハアハア息を 弾ませながら小休止し、また駆け上った。2時間50分で登頂した。山小屋 で横になったら頭がガンガンしてきた。高山病である。2度目は同志社教 職員組合のレクで92年8月23日に行った。8合目で泊まり、翌朝3時に 起き、5時頃登頂した。素晴らしいご来光が見られた。少し気分がすぐれ ず横になった。なかなかすっきりせず一人で下山した。前回同様砂ずりを 滑り降りるように下山した。前回と違う光景だった。聞けば御殿場ルート で、全く反対の方に下りてしまった。もう戻るには遅すぎる。幸いタクシ ーが待っていたので、急いで吉田ルート五合目まで飛ばしてもらった。バ ス出発の5分前に到着した。 トイレなど環境問題はずいぶん改善された。是非日本人の心のふるさと である富士山を世界自然遺産に指定してほしいと強く願っている。

・大峰山・大経ヶ岳(1719m) 全私研から戻った98年8月、早速奈良県の 大峰山にバイクで出かけた。女人禁制の看板があった。大峰山・山上ケ岳 頂上に着き宿泊客と女人禁制について談義した。

「秋蝶の翳よぎりゆく結界門」

翌日、90年に皇太子が歩いたという関西最高峰の大経ヶ岳まで行くことに した。苔むしたところにトリカブトが自生していたり、倒れた老木に若木 が生えていたり、行者も引き返す絶壁の「行者還岳」ありと変化に富んで いた。9時間の長丁場であった。弥山小屋のトイレは水洗化されていてよ かった。6月に大峰を代表するオオヤマレンゲを見に、今度は出合ルート で登ろう。

・宮之浦岳(1935m)  93年日本で初めて世界自然遺産に指定された屋久島。 「百名山」の中で日本最南端にある宮之浦岳に登ろうと99年3月鹿児島空 港でバイクを降り飛行機に乗った。プロペラ機だから悪天候なら引き返す とのアナウンスがあり、最終便だけにヒヤヒヤした。林芙美子が「浮雲」 で「月35日雨が降る」と執筆した部屋が保存されている屋久島ロイヤルホ テルに泊まった。東京からバス2台で来た登山者と同宿だ。百名山登山は 観光ビジネスになると思った。私はタクシーで淀川入口まで行き、雨の中 歩き始めた。5時間後宮之浦岳の頂上に着いた。土砂降りでレインコート を着ていたが芯までずぶぬれになった。東京の人は引き返したが、縄文杉 が見たくて高塚小屋まで歩き宿泊した。

「屋久杉の根息聞こゆる春しじま」

朝オーストラリアの青年に会った。彼は「目を瞑ってごらん」と。小川の せせらぎ、フレッシュエアー、小鳥の囀りが聞こえてくる。目を開けると 樹齢三千年以上の屋久杉、コケの上に光るダイヤモンドの輝き、大自然は 素晴らしいと体感した。彼は輪ゴムや小さなゴミを拾い、この大自然を次 世代に伝えるため、木を切らないよう、割り箸を使わずリサイクル箸を使 うよう生徒に伝えて欲しいと。環境問題への関心の高さに敬服した。

・北岳(3192m) 99年7月南アルプス9山縦走計画を立てた。実行直前に 尿管結石で7転8倒、即入院した。左右の腎臓結石を超音波で砕くため 10日間入院。退院後、テニスで体力をつけ、台風がそれたので8月に出発。 仙丈ヶ岳の馬の背ヒュッテで北岳に行く横浜の夫婦と会った。山小屋は1 枚の布団に4人が寝る。頭足交互に寝る。まさに串刺しだ。

「串刺し寝山小屋ムンムン李下月夜」

大仙丈岳を過ぎ迷路に入った。「迷ったら戻れ」。元の道に戻ると見逃した 矢印を発見した。馬の背ヒュッテから7時間半で両俣小屋に到着した。宿 の人は天気図を書き、「台風の影響で明日の天気はもっと悪い。北岳登山は 止めた方がよい」と。深夜にトイレに行くと雲が晴れ星が見えた。行ける ぞ!女主人は「台風が弱まり北岳登山大丈夫」と。5時半出発。大滝から 直登攀に。何度も休みながら日本第二の北岳に5時間後登頂した。くもり で強風、何も見えなかった。今回、南アルプスを歩いて感じたことは、特 に退職後の目標・生きがいの1つとして、中高年の方がたくさん歩いてい たことと、子育てを終えた40〜50才代の女性が重リュックを担ぎながら、 「今63」「2巡目」と、生き生きと輝いていたのが印象的だった。 

・幌尻岳(2052m)  北海道日高山脈最高峰で三大難所の1つ。橋がないの で川を17回渡渉しなければならず、時々増水で流される人がいる。大雨で 増水しても大丈夫な方法は? 思いついたのが釣り人用の腰まで履くブー ツだ。釣具店で購入し不安は消えた。03年7月、苫小牧港からバイクで平 取、振内からは2時間悪路と闘った。林道終点に着いたらネットで押さえ ていたお茶やおにぎりが振り落とされてなかった。そこから2時間歩き、 ダム取水口で釣りブーツに履き替えた。幸い深い所で膝までで17ケ所を2 時間かけ、無事山小屋に到着した。山小屋は一杯で午前3時半起床、4時 出発した。十勝フウロウなど高山植物が一杯咲き、1時間早い3時間で登 頂した。快晴の山頂で話が弾んだ。今年退職した人は妻とレンタカーに乗 り15日間で北海道の百名山9つ全部登頂した。温泉で疲れを癒し美味しい ものを食べるのが最高の楽しみだと。

百名山で最南端の宮之浦岳

「日本百名山全山踏破」(下)