・岩手山(2041m) 01年8月盛岡の「さんさ踊り」を見た翌日、登山口まで
バイクを走らせた。下山してきた人が「今まで地震の影響で2年間登山禁
止になっていたが、やっとこの夏一部解禁となり、3年越しで百名山全山
踏破した」と言った。ガスボンベを背負って登頂時間を競うハードな行事
もあった。頂上は暴風並でリュックを置いて証拠写真を撮った。 ・飯豊山(2105m) 01年8月「頂上の山小屋に泊まるにはお米を持参しな ければ」と言われ、麓の宿で米を買った。コースタイム10時間40分のと ころを7時間で登頂した。山頂に大阪の青年がいた。「いくつ登った?」と 聞いたら「99」。「あと1つだね」というと、「もう終わりだ」と。「最後の 1つは?」と聞くと「幌尻岳で命が惜しいから」と言った。「あなたの足な ら日帰りできるのに」と言われたが、米を持参したので山小屋に泊まった。 帰路、濃霧のため標識が見えず迷路に入ってしまった。 ・剣岳(2998m) 日本三大難所と言われる山で、体育祭翌日01年9月21日、 「天気は良くなる」とのニュースを聞き直ぐにバイクを飛ばした。北陸道 の立山ICで降りた。立山駅からは一般車乗入禁止なので、バスで室堂に向 い、午後3時半に到着した。剣御前小舎に電話したら廊下なら泊れると。 宿の主人に翌朝5時に出発すると言ったら「立山にも登るなら4時に出発 するように」と。17m垂直に切り立つカニの縦這い、鎖場10mのカニの横 這いという難所があり、待ち時間が1〜2時間にもなるからだ。午前4時、 今まで見たことのない満天の星に仰天した。 「目の眩し凍て星幾万剣小屋」 カニの縦這いで40分待った。急峻で引き返す女性もいた。私にとって剣は二番目 に険しい山で4時間で登頂した。1日2山はきつかったが、立山連峰も縦走した。 ・トムラウシ山(2141m) 大雪山で最も奥深くにあり、百名山の中で唯一カタカナの山。高山植物の宝庫である。03年7月、立派な国民宿舎東大雪荘を午前5時出発。大雪渓を越えると「日本庭園」。湧き水の池と奇岩がうまく配置され竜安寺の庭園に似る。稜線に高山植物の女王・コマクサが群生し唐松岳より多く生き生きとしていた。5時間で登頂した。阿寒富士など写真を撮りすぎ帰路は一人だった。登山者とずっと話しながら登ったので、分かれ道で立ち往生した。ゴミを拾いながら下山する青年が来た。「人生で何か忘れものをしていないかと、山登りをし、ゴミ集めをしている」と。宿舎前で、「全然違う方向に下りてしまった」と悲しんでいる2人の女性に会った。迷いやすい所があるので「百名山全山踏破記念」に道しるべを寄贈しようかな。 ・平ヶ岳(2141m) 苫小牧東港から新潟港まで19時間半で到着。高速道路小出 ICで下り大湯温泉に。この国道352号線はオートバイ通行禁止、時間帯で 一方通行。宿の主人は「違反切符覚悟で」と。登山口の枝折峠から3時間 半で魚沼駒ケ岳(2003m)に登頂した。銀山平の宿に泊まれば車で平ケ岳頂上 のすぐ下まで行けると聞いたが、予約していた清四郎小屋に泊まった。深 夜2時頃落雷で目が覚めた。これは大変!平ケ岳は一番の長丁場である。 「平ケ岳で15年越しの百名山全山踏破」という東京の人に登山口まで車に 乗せてもらった。03年8月5日5時10分に登り始めた。だんだん青空が 見えてきた。姫池の湿原には5時間後に到着した。 「平ケ岳湿原の花霧無限」 昨日駒ケ岳で会った婦人にばったり会った。聞けば、伝之助小屋に泊まり、 プラス3000円出して車でこの下まで送ってもらい、2時間15分で登り、この湿原まで来たと。私は山頂まで往復10時間半もかかった。 ・皇海山(2144m) 幌尻岳の頂上で「皇海山(すかいざん)は崖崩れで通行禁止であったが、今年7月に解禁となった」と聞いたので、平ケ岳、会津駒ケ岳、男体山を登った後、老神温泉に泊った。Dragster400ccは未舗装道路20kmを1時間半ハンドルを取られてのろのろ運転。途中、岩がごろごろ落ちていて「落石路肩危険。自己責任で通行してください」と村役場の標識。03年8月8日皇海橋に岡山の車が停まっていた。仲間がいるとどんなに気が楽か…。3人で話しながら2時間で登頂した。足尾銅山から登る道もあるがこのルートが最短である。朝、真っ赤に焼け美しかった。翌日は台風で、「崖が崩れ通行禁止となった」とテレビは報じた。 「美空焼く台風誘ひし皇海山」 ・笠ヶ岳(2897m) 百名山で一番きつかったのはこの山である。「山男」の山 田前校長から「笠ヶ岳はきついで!」と言われた。前日、水晶岳の小屋に 泊った。布団2枚に3人。隣の人の大鼾と領地拡大に抵抗し暑苦しくて11 時まで寝られず。外に出ると満天の星。感動して星を探している内に身体 も冷えグッスリ寝られた。4時に皆起き始め全くの睡眠不足。6時に出発。 快晴で槍ヶ岳を見ながら双六小屋に。まだ11時なのでここに泊まらず笠ヶ 岳まで行こうと。今まで一緒だった人が歩き始めたので、笠ヶ岳に行くと思い、余り食べずに歩き始めた。「笠に?雨を降らさないでね」と言われたのが的中。午後2時ごろ雷が鳴り雨が降り始めた。尾根には誰もいず、空腹と睡眠不足でふらふらに。 「雷火たつハイマツ逃れ目の虚ろ」 疲労困憊し笠新道から登って来る人にステッキを借りた。休んだとたん嘔 吐。少し歩いてまた戻す。青い胃液が…。04年7月28日、やっとの思い で山小屋に着くとまた嘔吐。「は〜い!あなたで51番目。蘇生させてあげ る!」と老人の声。「ポカリスエット7と水1を混ぜて5分おきに飲みなさ い」と。乾燥室にメモを取りに行くと「あなたは命とメモとどちらが大切 ですか」と怒鳴られた。お陰で翌朝元気を取り戻し、粥を食べて笠ヶ岳に登頂できた。水晶岳から笠ヶ岳まで11時間、2日コースを1日で強行したのは「京都三山登り」(愛宕山、比叡山、鞍馬山、平地52km 山20km 合計72kmを14時間44分で完歩)の過信が招いた災いであった。 ・焼岳(2393m)(04.8.6) 百番目に取っておいたのは上高地の焼岳である。 上高地は交通の便がよく魅力的で、一番集まりやすい場所だ。バーチャル 投資のTaji clubの教え子達に連絡したら4人参加できると。中の湯温泉 を集合場所にしバスで上高地に入った。小梨平キャンプ場のキャビンは新 しく、トイレも水洗で自炊ができ、登山者には最適だ。カレーライスを作 り、会長の岸本くんが横断幕を広げた。素晴らしいプレゼントだ。みんな に名前を書いてもらった。弟の豊がビデオで撮影してくれた。04年8月6 日、朝5時50分出発。天気は曇っていたがだんだん明るくなった。焼岳小 屋まで2時間。硫黄の匂いがしてきた。そしてその時が来た。午前9時50 分、百番目の焼岳・北峰に登頂した。ついに全山踏破したのだ! 晴れて きた。横断幕を前に登頂記念の集合写真を撮っていたら、「昨年妙高の頂上 でお会いした先生では?」と呼びかけられた。「自分たちも教師だが、最後 の山を教え子が一緒に登ってくれるかな。先生は幸せですね」と言った。 教え子たちと念願の「日本百名山全山踏破」でき最高だった。 Bravo! 翌日、石川県の深田久弥「山の文化館」を訪れ、全山踏破を報告した。 また、深田久弥終焉の地、茅ヶ岳・深田公園を訪れた。「百の頂に百の喜び あり」の碑があった。まさに百名山は私に多くの喜びと元気を与えてくれ た。「深田先生、百名山ありがとう」 |
「日本百名山全山踏破」(上) |