だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました

「日本百名山全山踏破」(下)

・岩手山、・飯豊山、・剣岳、・トムラウシ山、・平ヶ岳、・皇海山、 ・笠ヶ岳、・焼岳

唯一カタカナのトムラウシ山

・岩手山(2041m) 01年8月盛岡の「さんさ踊り」を見た翌日、登山口まで バイクを走らせた。下山してきた人が「今まで地震の影響で2年間登山禁 止になっていたが、やっとこの夏一部解禁となり、3年越しで百名山全山 踏破した」と言った。ガスボンベを背負って登頂時間を競うハードな行事 もあった。頂上は暴風並でリュックを置いて証拠写真を撮った。

・飯豊山(2105m)  01年8月「頂上の山小屋に泊まるにはお米を持参しな  ければ」と言われ、麓の宿で米を買った。コースタイム10時間40分のと  ころを7時間で登頂した。山頂に大阪の青年がいた。「いくつ登った?」と  聞いたら「99」。「あと1つだね」というと、「もう終わりだ」と。「最後の  1つは?」と聞くと「幌尻岳で命が惜しいから」と言った。「あなたの足な  ら日帰りできるのに」と言われたが、米を持参したので山小屋に泊まった。 帰路、濃霧のため標識が見えず迷路に入ってしまった。

・剣岳(2998m) 日本三大難所と言われる山で、体育祭翌日01年9月21日、 「天気は良くなる」とのニュースを聞き直ぐにバイクを飛ばした。北陸道 の立山ICで降りた。立山駅からは一般車乗入禁止なので、バスで室堂に向 い、午後3時半に到着した。剣御前小舎に電話したら廊下なら泊れると。 宿の主人に翌朝5時に出発すると言ったら「立山にも登るなら4時に出発 するように」と。17m垂直に切り立つカニの縦這い、鎖場10mのカニの横 這いという難所があり、待ち時間が1〜2時間にもなるからだ。午前4時、 今まで見たことのない満天の星に仰天した。

  「目の眩し凍て星幾万剣小屋」 

カニの縦這いで40分待った。急峻で引き返す女性もいた。私にとって剣は二番目 に険しい山で4時間で登頂した。1日2山はきつかったが、立山連峰も縦走した。

・トムラウシ山(2141m) 大雪山で最も奥深くにあり、百名山の中で唯一カタカナの山。高山植物の宝庫である。03年7月、立派な国民宿舎東大雪荘を午前5時出発。大雪渓を越えると「日本庭園」。湧き水の池と奇岩がうまく配置され竜安寺の庭園に似る。稜線に高山植物の女王・コマクサが群生し唐松岳より多く生き生きとしていた。5時間で登頂した。阿寒富士など写真を撮りすぎ帰路は一人だった。登山者とずっと話しながら登ったので、分かれ道で立ち往生した。ゴミを拾いながら下山する青年が来た。「人生で何か忘れものをしていないかと、山登りをし、ゴミ集めをしている」と。宿舎前で、「全然違う方向に下りてしまった」と悲しんでいる2人の女性に会った。迷いやすい所があるので「百名山全山踏破記念」に道しるべを寄贈しようかな。

・平ヶ岳(2141m)  苫小牧東港から新潟港まで19時間半で到着。高速道路小出 ICで下り大湯温泉に。この国道352号線はオートバイ通行禁止、時間帯で 一方通行。宿の主人は「違反切符覚悟で」と。登山口の枝折峠から3時間 半で魚沼駒ケ岳(2003m)に登頂した。銀山平の宿に泊まれば車で平ケ岳頂上 のすぐ下まで行けると聞いたが、予約していた清四郎小屋に泊まった。深 夜2時頃落雷で目が覚めた。これは大変!平ケ岳は一番の長丁場である。 「平ケ岳で15年越しの百名山全山踏破」という東京の人に登山口まで車に 乗せてもらった。03年8月5日5時10分に登り始めた。だんだん青空が 見えてきた。姫池の湿原には5時間後に到着した。

 「平ケ岳湿原の花霧無限」

昨日駒ケ岳で会った婦人にばったり会った。聞けば、伝之助小屋に泊まり、 プラス3000円出して車でこの下まで送ってもらい、2時間15分で登り、この湿原まで来たと。私は山頂まで往復10時間半もかかった。

・皇海山(2144m) 幌尻岳の頂上で「皇海山(すかいざん)は崖崩れで通行禁止であったが、今年7月に解禁となった」と聞いたので、平ケ岳、会津駒ケ岳、男体山を登った後、老神温泉に泊った。Dragster400ccは未舗装道路20kmを1時間半ハンドルを取られてのろのろ運転。途中、岩がごろごろ落ちていて「落石路肩危険。自己責任で通行してください」と村役場の標識。03年8月8日皇海橋に岡山の車が停まっていた。仲間がいるとどんなに気が楽か…。3人で話しながら2時間で登頂した。足尾銅山から登る道もあるがこのルートが最短である。朝、真っ赤に焼け美しかった。翌日は台風で、「崖が崩れ通行禁止となった」とテレビは報じた。

「美空焼く台風誘ひし皇海山」

・笠ヶ岳(2897m) 百名山で一番きつかったのはこの山である。「山男」の山 田前校長から「笠ヶ岳はきついで!」と言われた。前日、水晶岳の小屋に 泊った。布団2枚に3人。隣の人の大鼾と領地拡大に抵抗し暑苦しくて11 時まで寝られず。外に出ると満天の星。感動して星を探している内に身体 も冷えグッスリ寝られた。4時に皆起き始め全くの睡眠不足。6時に出発。 快晴で槍ヶ岳を見ながら双六小屋に。まだ11時なのでここに泊まらず笠ヶ 岳まで行こうと。今まで一緒だった人が歩き始めたので、笠ヶ岳に行くと思い、余り食べずに歩き始めた。「笠に?雨を降らさないでね」と言われたのが的中。午後2時ごろ雷が鳴り雨が降り始めた。尾根には誰もいず、空腹と睡眠不足でふらふらに。

 「雷火たつハイマツ逃れ目の虚ろ」

疲労困憊し笠新道から登って来る人にステッキを借りた。休んだとたん嘔 吐。少し歩いてまた戻す。青い胃液が…。04年7月28日、やっとの思い で山小屋に着くとまた嘔吐。「は〜い!あなたで51番目。蘇生させてあげ る!」と老人の声。「ポカリスエット7と水1を混ぜて5分おきに飲みなさ い」と。乾燥室にメモを取りに行くと「あなたは命とメモとどちらが大切 ですか」と怒鳴られた。お陰で翌朝元気を取り戻し、粥を食べて笠ヶ岳に登頂できた。水晶岳から笠ヶ岳まで11時間、2日コースを1日で強行したのは「京都三山登り」(愛宕山、比叡山、鞍馬山、平地52km 山20km 合計72kmを14時間44分で完歩)の過信が招いた災いであった。

・焼岳(2393m)(04.8.6) 百番目に取っておいたのは上高地の焼岳である。 上高地は交通の便がよく魅力的で、一番集まりやすい場所だ。バーチャル 投資のTaji clubの教え子達に連絡したら4人参加できると。中の湯温泉 を集合場所にしバスで上高地に入った。小梨平キャンプ場のキャビンは新 しく、トイレも水洗で自炊ができ、登山者には最適だ。カレーライスを作 り、会長の岸本くんが横断幕を広げた。素晴らしいプレゼントだ。みんな に名前を書いてもらった。弟の豊がビデオで撮影してくれた。04年8月6 日、朝5時50分出発。天気は曇っていたがだんだん明るくなった。焼岳小 屋まで2時間。硫黄の匂いがしてきた。そしてその時が来た。午前9時50 分、百番目の焼岳・北峰に登頂した。ついに全山踏破したのだ! 晴れて きた。横断幕を前に登頂記念の集合写真を撮っていたら、「昨年妙高の頂上 でお会いした先生では?」と呼びかけられた。「自分たちも教師だが、最後 の山を教え子が一緒に登ってくれるかな。先生は幸せですね」と言った。 教え子たちと念願の「日本百名山全山踏破」でき最高だった。 Bravo!
翌日、石川県の深田久弥「山の文化館」を訪れ、全山踏破を報告した。

また、深田久弥終焉の地、茅ヶ岳・深田公園を訪れた。「百の頂に百の喜び あり」の碑があった。まさに百名山は私に多くの喜びと元気を与えてくれ た。「深田先生、百名山ありがとう」

Taji club生と焼岳「全山踏破」

「日本百名山全山踏破」(上)