だいごのじまん


田島 繁さん(15組)から素晴らしい投稿を頂きました

「日本スリーデーマーチ」(上)1991.11.1、14回大会 

〜国内で最もハードな50km3日間に挑戦、オランダ人の太ももにびっくり〜


 「瀬戸内・倉敷ツーデーマーチ」に参加した時、ウォーキングが参加者同士の話し合い、交流がありとても楽しいものだと実感した。その時、日本で一番ハードなウォーキングが「日本スリーデーマーチ」だと聞いた。朝日新聞で1991年の大会実施要綱を見、「1日50km3日間歩く」日本で一番ハードなウォーキングに挑戦したいと参加申込した。私は1990年3月に「京都三山登り大会」(愛宕山、比叡山、鞍馬山に登り、山20 km 平地52 km 計72kmを1日で歩く)を企画・実行した。今後につなげるノウハウを学びたいという気持ちもあった。

11月1日(金)
 授業を終えるや新幹線に乗り、池袋経由で東松山市の百穴温泉に泊まった。隣の人は50kmは4回目という72歳の人と、日本の7つのマーチング大会全部完歩しマスターをとった67歳のY氏だった。20:00ごろ布団を敷き横になった。

11月2日(土)
 3:30起床。50kmを歩くY氏は足の指先をテーピングしていた。車で3人中央会場の松山第一小学校まで送ってもらい、隣の松山中学校体育館で朝食をとった。会場には既に多くの参加者が集合していた。後援団体の環境庁・愛知長官が挨拶した後、ストレッチ体操をし、5:00に出発した。暗いけれど街灯の明りがありヘッドライトはいらなかった。5:45明るくなりウインドブレーカーを脱いだ。オランダ人の4人の男性が速いペースで追い抜いていった。その凄い太ももにびっくりした。オランダから参加したエスタと話す機会ができた。彼女はコペンハーゲン〜モスクワ〜ハバロフスクと鉄道で混迷するソ連をじかに見聞し、飛行機で東京へ。会津、日光、東京を見学し、大会後は京都、広島、長崎を訪れ、その後タイで夫と合流する。有給休暇24日を全部使ってとはいえ、福祉施設で働いている彼女の何とエネルギッシュな生き方であろうかと感心した。チェックポイントの寺に着いた。没後200年を記念してモーツアルトの曲が流れていた。足の裏にマメができそうなのでテーピングをした。
 生徒と歩いていた東松山南中の先生に話しかけた。北中は遠足をこれに振り替え全校生徒が参加している。南中は自由参加である。テニス部顧問として1・2年生部員52名を全員強制参加とした。東松山市はテニスが強く、2年生7人はこの後すぐ国体選手養成のための中高合同合宿に行くと。小学生たちに会った。「何年生?何回目?」と聞くと、6年生で6回目であると。小1で10km歩き、2・3年で30km、4・5年で50kmに参加。昨年は3日目が雨で中止したので、今年は3日間とも50km歩きたいと。彼の新明小学校は720名全員参加である。東松山市が主催で東松山市教育委員会が共催団体なので、この大会には殊の外熱心で、学校を宿舎や会場に使用し、公立小中学校の生徒たちに積極的に参加を呼び掛けている。小中学生がこれほど多く参加しているマーチングは他になく、大変素晴らしい!キーウイの果樹園を初めて見た。和紙の実演・体験がコースの中に組み込まれておりタイムレースとは違う良さがあった。丸木美術館で原爆の絵を見ようと、スカートをはいていたスコットランド人と別れた。オランダ人やテニスの先生と話している時はハイスピードで歩けたが、一人になると途端に疲れを感じペースダウン!足がだんだん痛くなり明日も歩けるかなあと不安になってきた。「大丈夫、明日になれば痛みは和らぎますよ」と励まされながら2:45中央会場にゴールした。50kmを9時間45分で歩いた。万歩計は61,766歩。医療班でマメができた両小指の水を抜いてもらった。痛くて歩けない。愛知長官も50kmを完歩した。今日の50kmコース参加者は962名であった。宿舎に戻ると足にできたマメの水を針で上手に抜いていた。7:50就寝した。

11月3日(文化の日)
 5:00スタート。足にマメができて歩けないのではと心配したが今日も歩けてうれしかった。初めからエスタとその友人ヨップと一緒に歩く。エスタは日本に初めて、ヨップは4回目である。今回オランダから160名が参加した。オランダでのウォーキング大会について聞いてみた。エスタは出発直前に120km大会に出場した。約3週間に1回はマーチングに参加し、歩くことは生活の一部になっていると。ヨップは4月に150km大会、7月にフォーデーマーチの200km、秋に160km大会が2回、3島めぐりの120km大会が2回。合計1年に年6大会参加を含め約2,800km歩くと。「京都三山登り大会」は荒行ウォーキング大会だと思っていたが、睡眠1日4時間の「3日間300km」という競技もあると聞き、びっくりした。彼の記録は160km (100マイル)を21時間、休憩除いた平均時速が8.5kmである。凄い!私の「京都三山登り」の平地の時速8.5kmと同じである。足元だけを見、早いテンポの音楽を聴き、ただひたすらに歩くスピードだ。オランダのフォーデーマーチ(4日間で200km)には今年39,000人が参加したという。オランダではウォーキング大会がマラソンのように立派な競技に位置づけられ、沿道にはギャラリーができてウォーカーを応援すると。二人と話しているとハイスピードでいつしか昼食場所に着いた。
 昼食後、オランダ人と別れゆっくり歩くと、風が見えてきた。大会テーマ「楽しみながら歩けば風に色が見えてくる」である。雲雀が鳴き、大自然ののどかな田園風景がよかった。こういうコースを入れないと。京都の中心部、寺社めぐりだけではダメだろうなア。大きな旗を持って歩いている人に聞いてみた。「十和田湖一周50kmを歩く会」の人で、会員1,500名がこれに参加していると。凄い集団だ! 14:12 ゴールした。9時間9分で昨日より早い到着であった。「クリーンウォーカー」の旗があった。朝受付をし、ビニール袋を持ってゴミを回収すると、ゴールで記念品を貰える。自分たちでゴミを出さない自主的な活動である。100袋以上のゴミが持ち込まれていた。「記念品は何?」と聞いたら、私にも玩具をくれた。日本歩け歩け協会の会長・世界副会長の金子智一氏に、「京都にも50kmコースが出来るといいですね」と言うと、「京都にも日歩協の支部があるので相談して実現して下さい」と。
 宿舎に戻り、温泉につかって、NHK大河ドラマ「太平紀」を見て21:30布団に入った。隣のY氏より遅く寝たので、その往復いびきでなかなか寝られなかった。布団をかぶる。ビールを飲む。ヘッドホンで耳栓をする。風呂に再度入る。いずれもだめで焦ってきた。宿舎の人に廊下で寝させてほしいというと食堂横の広間を許可してくれた。布団を運び23時過ぎにやっと寝ることができた。

11月4日(月)
 3:30起床。前夜の高いびきで睡眠不足気味。Y氏を起こし、4:15宿舎を出発した。昨日できた3ケ所のマメを潰してもらおうと医療班に行ったら「このままで大丈夫」と。少し不安を抱きながら最後尾で出発した。遅れを取り戻そうと早いペースで歩き、どんどん追い越してゆく。星がこんなにも大きくきれいなのかなあと感心した。ウオークリーダーの腕章をはめた人が左肩に重いバックを掛けていたので「肩が凝りませんか」と話しかけた。東京の生活相談委員の方で、「初日の環境庁長官の足の痛みを指圧で治したのはこの私ですよ」と。第1回から毎年参加しており、日本スリーデーマーチの歴史を教えてくれた。最初、前橋のA氏がオランダに行き、フォーデーマーチを視察。是非これを日本にと、自衛隊の協力を得て前橋で実現した。その人が市長に立候補との噂が出、今の東松山市に。市長や市会議員がオランダを視察し、市教育委員会、市商工会議所と協力しこれを積極的に推進した。地方都市だからこそ一丸となってこれだけ盛り上げられたのでしょうねと。
 朝日の昇る田園風景は美しかった。チェックポイントでエスタとヨップに会った。エスタは5本指の靴下を貰ったと喜んでいた。参加者同士のプレゼント交換や交流が随所で見られた。山里のミカン山で休憩。今日兵役義務が切れる185cmのシーズが我々に加わった。オランダでは18歳〜22歳の間に1年間の兵役義務があるが、シーズは大学卒業後に入隊。この夏のフォーデーマーチには制服を着て40kmに参加。除隊後はコンピュータの仕事につきたいと。ヨップはなぜ毎年2,800km(約本州一周)も歩くのかなと思ったら、彼は25歳で結婚し32歳で離婚したと。私が日本百名山に夢中になっていた時、知人から「離婚されないように」と言われたことを思い出した。2人の子供は裁判でヨップが引き取り育てた。自分で食事を作り、掃除・洗濯も自分でする。軍隊生活で経験したので余り苦痛ではないと。
 ミカンは珍しいというので、その果樹園の前で写真を撮った。「ミカンを記念に1つもぎ取ったら?見つかっても、外国人ならスマイルすれば許してくれるよ」と言うと大笑い。 昼食後、ヨップらにパレードに参加するため先に行くよう勧め、握手して別れた。11回参加という日本スリーデーマーチ「かじ歩会」の相談役・灰原氏と話し合う。この夏、東松山市の中高生と大人15名でオランダに行き、フォーデーマーチに参加した。15名はパレードと東松山太鼓を演奏・披露した。灰原氏に「京都三山登り」のことを話したら、「大阪YMCAの人に話したら。京都の名峰を含んだコースであれば、参加したいという人はきっと多いでしょう。会員となって推進してみては」と勧められた。何か光が差し込んできた。
 マメで痛む足をかばいながら、15:30ついにゴールした。50kmコースを3日間無事歩くことができた。完歩証と記念メダルをもらった。着替えを済ませたエスタとヨップに再会し、ゴールで一緒に写真を撮った。いろいろな人と楽しくお話ができいい思い出がたくさんできた。このスリーデーマーチは記録会ではなく、豊な自然や文化を楽しみ、歩きながら参加者同士の対話・交流がある本当に素晴らしい大会である。若い小中学生から熟年組、お年寄り、そしてニューファミリーまで幅広い参加者を擁し、日本の北から南まで、またオランダなど多くの外国人が参加する。まさに日本一のウォーク大会である。会場出口に今大会の参加者数が発表されていた。10kmが 28,496人、 20kmが 23,973人、 30kmが 8,532人、50kmが 2,654人、合計 63,805人。約6万4千人とはすごい数だ。いかに多くの人たちがこの大会に魅せられていることか。この大会を支えている多くの人たちに「ありがとう」と感謝を述べたい。そして、いつかオランダの「フォーデーマーチ」に参加したいと思った。