08年春、定年で同志社を退職した。この大会に17年ぶりに参加した。参加理由は前回同様、比企丘稜の秋を楽しみ、どんな出会いがあるのか楽しみであった。今回はもう一つ大きな理由があった。同志社の創始者・新島襄が1882年に教え子の徳富蘇峰や湯浅半月ら5人と京都から中山道を通って安中まで歩いた。退職後にやってみたい仕事として私も新島先生が歩いた同じ道を学生たちと09年に歩いてみたいと思った。08年10月末Dragster400で京都から安中までコース下見をした。その後、「京都・安中420kmウォーク」の足試しとして、50kmコースを3日間歩いてみようと思った。宿舎はオートバイで約30分、一人部屋がとれる熊谷市のビジネスホテルにした。 11月1日(土) 50kmコースの出発時間が91年は午前5時であったが、今回は6時であった。4:40起床、食事をして5:20ホテルを出た。車も少なく時速60kmで飛ばした。初めての道で少し迷ってしまい6:05中央会場に着いた。バイク置場が会場近くにあり助かった。先頭はもう出発していた。中央に設置された大パネルに自分の姿が映った。外国人に話しかけたらスイスから来たと。「今年の夏マッターホルンとアイガーに登りましたよ」というと「山には登ったことがない」と、親子は早いペースで先に行った。天候に恵まれ、田園地帯を歩いていると、地元のウォーカーから「富士山が見えますよ」と。頭の先だけでなく中腹まで見えた。岡山の桃太郎姿の法被を着た元気な女性に会った。今話題の派遣社員で、身分は不安定で収入も多くはないが、自分で働く日を決められる自由があり、オランダのフォーデーマーチや韓国のウォークに参加した。桃太郎姿の法被でみんなから声をかけられ嬉しかったと。私も「京都・安中ウォーク」には目立つハッピを作ろう!自転車道があり、野鳥を撮ろうと5〜6人が大きなカメラを構えていた。見せてもらったら「きれいなオオルリ?」だった。何と桜が咲いていた。狂い咲きではなく秋桜の品種だと。昼ごろだんだん足が痛くなってきた。キリマンジャロに登った底の固い靴で歩いた。間違っていた。だんだん遅れて前の人が見えず道を迷うことも…。話す人も少なく神経が足の痛みに集中…。5時までにゴールしなければ失格となる。時計をチラチラ見る。やっとゴールが見えた。5時5分前、みんなの拍手に迎えられ到着した。11時間50分もかかった。50kmコースはただ黙々と歩くだけで、景色を楽しんだり話し合うゆとりがない。「京都・安中新島ウォーク」は1日35kmを1日30kmに変更しよう。そして風の色を身体に感じながら楽しく歩こうと思った。明日は靴をテニスシューズに変え、コースも20kmに変更しよう。 11月2日(日) 20kmコースの出発は7時なので、6時起床、6:35ホテル出発、6:55中央会場に到着した。ゆとりができた。7:00スタート。ロシア人がたわわな柿の写真を撮り、また休憩場所の鬼鎮神社で集合写真を撮ろうとしていた。「ズドラーストヴィッチェ」と言ってシャッターを押してあげた。ウラジオストークから来た12名の団体で、日本にコンテナを運ぶ若い船員もいた。リーダーは14回目の参加で、みんな歩くテンポが速かった。中学生4人とすれ違った。話しかけると小学校は同じ学校で友達だったが中学生になると学区が変わり別々の学校に通うことになった。このマーチが再会の場となりみんなに会えてうれしいと。小2と小4の弟も歩くと言うので母親が付き添いで参加した。60歳で定年退職した東松山市の人は毎日2時間程歩き、この大会には7年連続の参加だ。昼食場所の菅谷館跡、嵐山史跡博物館の入場料が今日だけ無料となりこの地方の歴史を知ることができた。丸木美術館も割引料金となり、大きな「原爆の絵」を見て平和のありがたさ、大切さをかみしめた。73歳のおばあさんが腰を曲げ元気に歩いていた。東京の娘さんが田舎から母を呼び寄せ一緒に歩くのが楽しみだと。これで7回目。帰る前に東京見物。こんな親孝行もあるのだなあと感心した。新潟の夫婦から「京都にも歩く大会はありませんか。子供が京都に行っているので参加させてやりたいが」と。まさにこのウォーキングは豊かな自然の中を歩き、多くの人と歩きながらいろいろお話する。そんな中に喜びと楽しみがある。より多くの人が参加できるよう、みんなに広げてゆきたい大会である。話に夢中になり、心配していた足の痛みは感じず12:30ゴールした。 中央会場にはオランダ・ナイメーヘン市から来た高校生4人がいた。みんな背が高い! 今日10km歩き、4 Days Marchにはまだ参加していない。フォーデーマーチのリーダー BELT氏と話をした。「年齢いくつ?」「65歳」「ラッキー、一般は50km 4:30出発だけ ど、65歳以上は30km 7:30出発です。7月の最初の月曜日が歓迎パーティ、火・水・木・金の4日歩く。日本から2年前の記念大会には150名が参加。Googleで調べ是非参加を」と。「松山マドンナ」がみかんを配り、松山市の副市長が壇上で「松山〜東松山夢の1000km友情ウォーク」をアピールした。「坊ちゃんのモデルは同志社中学校の弘中又一数学教師ですよ」というと、山口県湯原に弘中氏の石碑が建っていると教えてくれた。出店がたくさんあり、足のテーピングの仕方を教えてもらった。足マメ対策として5本指靴下を購入した。 11月3日(文化の日) この大会終了後、実家の名古屋までオートバイで帰るので、20kmコースに変更した。7:00 中央会場をスタート。元気なお婆ちゃんがいた。「何歳?」と聞くと、「78歳。宇都宮から来た」と。この大会は18回目で、日本マーチングリーグ「100回表彰」を終え、今150回(5冊)表彰を目指している。国際マーチングリーグでも21ケ国のマーチに参加し、4年半で全部終了したと。歩道橋の階段や坂道もスタスタと歩き若い若い!「あなたも1000円でスタンプ冊子を買い頑張りなさい」と。年金を全部ウオークに使い、家族には何の心配もさせないという名物お婆ちゃんである。 ご夫婦で歩いている人に話しかけ、歩く動機を聞いてみた。50歳の時医師から糖尿病と言われ歩くことを勧められた。奥さんと毎日歩き、奥さんの食事療法の甲斐もあって10kg程減量し身体の調子もよくなったと。ウォーキングは病気を治す効果があるのだ。この大会に7回参加し、これから尾鷲、山口、田辺のウォークに参加すると。いろいろ話している内に12:00ゴールした。「3日間完歩証」と「2大会完歩バッジ」を貰った。 昨年は30回記念大会で、外国人25ケ国357名含め延11.1万人と史上最多であった。 今回はリーマンブラザーズの破綻で世界同時株安・不況、円急騰で外国人の姿を余り見なかった。しかし、毎年約8万人のウォーカーが集うこの大会は今やオランダのフォーデーマーチに次ぎ世界第2位の規模を誇る大会となった。 手造り爪楊枝袋や熟れた柿を沿道に住むお婆ちゃんからいただいた。市民レベルの交流もあり嬉しかった。ウォーキングは町起こしになると思った。自分たちの住む街の再発見、家をお花で飾ったり、一人ひとりができることを考え、みんなで協力する。新しいアイディアが生まれ、町の魅力・活性化につながると思った。 団塊世代の大量退職、超高齢時代がやってくる。歩くことは病気の予防にも繋がる。 1月4日に京都御所を歩いているとウォーキングの人たちに会った。大阪の団体が企画した新春ウォークである。「ウォーキングライフ1月号」を見せてもらった。4日に「京都を歩く新春ウォーク」を10km,15km,28kmコースと3団体が実施していた。日歩協とその支部が、ほぼ毎日全国どこかでウォーキングを実施している。 その表紙には「富士山に世界が集まる4日間第11回IVVオリンピアード2009」〜2年に1度の開催、今大会はアジアで初開催と。5月14日(木)〜17日(日)富士山の麓に国内外から数多くのウォーカーが集まる。是非妻と10km / 20kmコースに参加したい。そして「富士山を世界文化遺産に」と世界にアピールしたい。 |